サッカーを辞めた話。そして海外へ。
まず初めに、私は今もサッカーを続けている。
タイトルに【辞めた】とあるが、それは一度サッカーを辞めたということだ。
サッカーは小学1年生からはじめた。
少年団に所属したものの、同学年は3人。
試合の時は、1つ下の学年が半数以上を占める。小学6年生の頃は、1年間で3勝くらいしかしてない。
輝かしい功績は一切無し。
中学生では、地元のクラブチームのセレクションに合格するものの、走りの練習がキツいと聞いたので入るのを辞めた。
そのため、中学の部活動に進んだ。
出来て3年目の学校。僕らの学年は10人。
また11人いない。練習も週に2回。
レベル的には、区ではそこそこだったものの都大会すら出れない。まあ言ってしまえば無名校である。
こちらも輝かしい成績は一切無し。
どちらかというと、朝に活動していた早朝バドミントン部の方が楽しかったかもしれない。
高校は、都内では強豪と言われるサッカー部に進学した。同学年は、70人くらい。
急にマンモス校に進学してしまったのだ。
ここで出るのはまあ難しいだろう。
入学した瞬間に思った。
ただ、諦めることは出来なかった。諦めてなかったからこそか。
入学してからの最初の試合でスタメンを勝ち取り、先制点を決めた。
相手は元日本代表の中村俊輔選手を輩出した超名門校、桐光学園である。
いきなり全国レベルの相手との試合。今まで、区大会以上に出たこと無かった僕からすれば、もうこれが全国大会の気分だったのかもしれない。
そして、その後は全く活躍しないまま3年間終了。高校サッカーでのピークは、1年生の4月頃だったと言える。
そして私はサッカーを辞めた。
大学入学後もサッカーを続ける環境はあったが、入部はせずにごく普通の大学生活を送った。
高校で何も活躍できなかった私は、サッカーが嫌いになった。まあ自分のせいではあるが。
中学までは純粋に楽しんでいたが、いつしかそのサッカーを嫌いになっていく。ただ、スポーツクラスに入学したからには部活は続ける。
私にとってのサッカーはいつしか作業になってしまっていたのだ。
だが、今は毎日のようにボールを蹴っている。
そのきっかけとなったのは、高校時代の仲間と出た大会である。その大会では決勝大会に進み、世界大会まであと一歩のとこまで勝ち上がった。
そこで、ボールを蹴る楽しさを改めて感じた。
「楽しい」ただこれだけだったが、それでよかったのだ。
楽しいことをやりたくないって思う人は、まあいないだろう。
人は楽しいと思ったことはもう一度やりたくなる。
それが普通だ。
楽しいからまたボールを蹴り続けている。
そして大きなことしたくて、楽しむ場所を変えたくて、世界を見てみたくて、日本の経歴社会が嫌になって、南米に行った。
南米の話は次の回で話そうと思う。
2022/10/18