note開始から5年経過して初めての自己紹介
私、関西在住の安永周平と申します。
現在、40代後半の男性で、中学2年の娘がいます。
仕事は、2011年末に脱サラして2013年に新規就農して以来、トマト農家をしています。
と、「トマト農家」と申告した段階で、相当のバイアスがかかってしまうようになったと、最近では感じています。
肌感覚では、
新型コロナウイルス感染症の出現前とその後、また克服後の現在では、
この「農家」というキーワードに対する世間の感じ方に大きく変化が起きたのだと思っています。
どう変わったのか、について自身で述べるのはとても辛いのでここでは止めておきます。
運に左右され、とても大変な仕事であることには違いありません。
脱サラしてからずっと娘の育児を担っています。
育児のすべてです。この話は別の機会にまわします。
育児を最優先にして、新規就農を果たし、一人でトマトを作っていました。
自身に対する負担は壮絶なもので、就農してから7年経過したときに、44歳で急性心筋梗塞となり心肺停止となります。
ドクターヘリでの搬送などの話は以前のnoteに書きました。
(異世界へ行ったかは、記憶がないので分かりません。ご縁はなかったのでしょう。)
自己判断の結果だ、自己責任だと言われるかもしれません。
現状では、私の心臓は3分の1が壊死しているので、なかなか無理がききません。
これを理不尽ととらえるのか、生きてることが幸運ととらえるのか。
今のところは、娘に再び会えているということを幸運として感謝しています。
命を救ってくれた「医療」に感謝しています。
蘇生してから「医療に恩返ししたい」とモジモジ考えて、
紆余曲折で時間ばかり経過してしまいましたが、
今は、認定登録の、医業経営コンサルタントとして新たな一歩を踏み出し始めました。
とともに、
もともと研究が好きだったのだろうと、この歳になってようやく気が付き、
そういう人生だったなと回顧したので、
「医療への恩返し」を主題としつつも、やり残したテーマを研究すべく、研究所を立ち上げました。
大学の頃からの考古学の研究(考古学研究所勤務も遠い昔)、
大震災でついえた環境ブーム(昔はCSR、今はESG)、
先駆的な環境負荷低減農業の社会実装をめざすも夢破れ、
やり残しばかりですが、
それらを複合領域として、再び研究してみようと試みています。
今まですべて手弁当で、満足に研究もできなかった、という就職氷河期世代の悲哀でしょうか。
心臓のかねあいで長くは生きられないですが、
育児というよりは「ともに生きる」で、偶然かもしれませんが、娘への後継者育成はすでにできています。
将来娘が継いだら名前は変わってしまうでしょうが、
株式会社誠意未来研究所、という会社を立ち上げて、本日1周年を迎えることができました。
農家、というバイアスは消せるとよいのですが、いろんな農家がいるということを伝えたかったのかもしれませんね。
今は、医療への恩返しのため、医業経営コンサルタントを頑張ります。