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足立区とオレ #80
足立区は「都会で暮らす作法」をオレに叩き込んでくれた。
それは前のnoteに記したとおりだ。
みなさんは「足立区」にどういうイメージをお持ちだろうか?
下町とかガラが悪いとか、治安が良くないとか。
それはそれで正しくもあるのだが、綾瀬に関しては常磐線(千代田線)を挟んで加平へ向かう北側と、小菅へ向かう南側で大きく様相が異なる。
北側は「東京武道館」(日本武道館ではない)と東綾瀬公園を中心に区画整理がされており、道路はマス目上に配置されており、ごちゃごちゃ下町感とは乖離がある。
南側は未だに「畑」があったりして(2018年頃に家を下見に行ったときには、隣家がラジオを聴きながら畑を耕していた)、道路もゴチャゴチャ感があり、いい意味で「葛飾区」的な感じがある。下町の風情が残っている印象だ。
オレが住んだのは加平だったので北側だ。
寅さんが出てくるような風情とは無縁の殺風景な住宅地と町工場が交互に入り組んだ街だった。
だけど住みにくかったのかと問われれば「住みやすかった」と言えるだろう。
若さゆえ「ほっといてほしかった」オレにはちょうどいい距離感だった。
だけど「助けて欲しい」と意思を示せば、手を差し伸べてくれる心地の良い距離感があった。
お世話になったのはパンダグループ。どうやら今も健在のようだ。
「味安」には毎晩お世話になった。カウンター越しに目の前で小気味よい音を立てながら肉塊を左右の手に交互に叩きつけて作ってくれるハンバーグにはいい思い出しかない。
ホッケ定食も大きな開きで空腹を十分に満たしてくれた。座敷席では今で言う「マイルドヤンキー」な家族連れが食事を楽しんでいた。
病気になったら「綾瀬民衆病院」。今はもうなくなってしまったみたいだけど、民青上がりと思われるお医者さんが、丁寧に診てくれた。
谷中郵便局に阪神大震災の救援金を振り込みに行ったら、局員さんがまるで自分のことのように「本当にありがとうございます」とお礼をしてくれて驚いた記憶がある。
つきまとってくる、若者にはいささか「荷が重い」人情ではなく、ドライだけど素直に声をかければ素直に応えてくれる「大人の人情」がある街だった記憶がある。
素直に中古車「パンダ」でワンダーシビックのセダンを買っておけばよかったと思う。
マンション「グランヴィラ綾瀬」は、いまでもオレの憧れだ。
今度暇なときにクルマでカミさんを「味安」に連れて行こうと思う。
カミさんに「オレが上京した街だよ。オレはここでいつも飯を食っていた。ハンバーグの作り方は30年前と変わってないよ。しょうぶ沼公園には移動動物園が来て、ベンチで本読んだりしてたんだよ。環七交差点にそびえ立つ、あの中古マンションで老後を過ごさないか?」とノスタルジーに浸りながら想いを伝えたら、どんな返事が来るだろうか?
(つづく)