馬鹿笑い
先日、取引先との宴席で隣席の宴会の声が大きすぎてこちらが全く会話できないという状況に陥った。会話がとても盛り上がっているようで度々参加者全員の「馬鹿笑い」が起きている。「ちょっとは周囲を気にしなさいよ」というメッセージを含んだ目配せをしてはみるものの効果はなし。お店の人に注意してもらうという手も考えたが折角の宴会の場を白けされるのも本意ではないし、その店はそういう店なので、五月蠅いのが嫌なら個室のある店にしなかった自分のせいでもあるので取り敢えずは暫く様子を見ることに。そういえば、子供が小さい頃、マンションの部屋で騒ぎまくって何度も直下の住人に怒鳴り込まれ、その時は平謝りしつつもどこかで「子供は騒ぐのが当たり前。それが嫌なら最上階か一戸建てに住みやがれ!」なんて心の中で思っていたから、そのときの僕は直下の住人と同じ感情を抱いていたんですね。
その後、「馬鹿笑い」の基になっていたネタも尽きたのか、もしくは私が「騒音」に慣れたのか気にならなくなったのかは定かではないが、一応一件落着とはなりました。
ところで、そもそも僕自体は彼らのように「馬鹿笑い」を近頃したのだろうか?コロナ禍によって暫く遠慮していたけど宴会はやっぱり楽しい。少人数でのしっぽりとしたお酒も良いが、みんなでワイワイ盛り上がる宴会は格別に楽しいものである。そしてまたそれを盛り上げようと、宴会マスターはここぞとばかりの“すべらない話”を披露しする。それはそれで面白いのだが隣の宴会客のようにドッカン、ドッカンと「馬鹿笑い」の渦を巻き起こすほどではなかったような気がする。だから今思えば、その「馬鹿笑い」のネタが気になってならないのである。過剰に迷惑がらずにその「馬鹿笑い」するほどのネタをもっとしっかり聞き耳立てて聞いておくべきだったのかもしれない。