日本クルド文化協会「日本人死ね」発言は「病院に行け」だと改めて釈明と謝罪 発言者は事務局長!
コメントに「ここまで罵倒され罵られて気の毒。あとは法的に対処させればいいではないか」という心優しい意見があったが、この「日本人〇ね」の発言に人々がこだわるのは、最初は「〇ね」ど投稿していて、同時進行で見ていた人は、確実にその音声を聞いていた。その後、ワッカス・チョーラク氏が、さすがヤバイと思ったのかそれを削除したのか、上乗せたのか技術は不明ながら、何らかの高等技術で「病院に行け!病院に行け!精神病院に行け!に変えたようなのだ。
その書き換えられた投稿は、数分後に出たわけだが、前のXのpostをすでに拡散している人がいたようで、(私も実行したかも…。なぜなら、余りに衝撃的だったので夢中で証拠残すために拡散した)それで、二つのヘイトスピーチが並立して拡散していったという経緯がある。つまり、人々がこだわっているのは、そこでヘイトスピーチを実行し、なおかつ慌ててそれを削除し違う言葉に偽造したことになる。
そして、日本人は嘘と偽造をする人間を一番信用しないのだ。日本人は、永田町と霞が関界隈を除いては、概ね正直で誠実な性格だから、嘘と偽造は一番嫌うように思う。まだ「日本人〇ね」と喚き続けていた方が、まだ直情的で幼稚な奴と許容してくれたかもしれない。それを慌てて偽造したという疑惑が出て、その時点でその人物は軽蔑に値する人間に成り下がった。日本人なら、その作為が一番信用できないと認識したはずだ。
それで、人々もその一点にこだわっているのだと思う。嘘は泥棒の始まりと言われるが、一度ついた嘘は、その嘘を訂正したり隠したりするためにまた嘘をつかなければならなくなる。カッコ悪いが、正直に謝罪してしまう方がずっとマシな対応となるだろう。日本では、嘘つきは二度と信頼してもらえない。少なくとも、そのハードルはとても高いものになる。
日本人のSNS上の罵倒が激しくなるのは、同氏が重ねて今回も嘘をつき人々をだましているからであり、表面上謝ってもその本質を日本人は見抜いている。多少オッチョコチョイでも日本人は概ね寛容だが、こと詐欺だとか嘘が入ってくる人間は、その本質がバレた時点で誰も信用してくれなくなる。表面的に平然とした微笑を浮かべながら、心では絶対に受け入れてくれない。
それが、本音と建て前を使い分ける日本社会の酷薄な特徴のようだ。それは対立を避ける意味では知恵でもあり、本質を曖昧にしてしまう意味では欠点でもあるのだろう。私もそんな日本社会では異端だと認識し、若い時は随分反発もした。現在もその過渡期であり、まだ本音と建て前を上手に使いこなせていないと自認する。しかし、それは日本人の風俗習慣だ。礼儀は儀礼でも、争いの元は作らない。日本社会は、嘘をつくことにナーバスで一度だまそうとした人間は生涯信用してくれないし、その追及は執念深い。
クルド人問題に戻ると、多くの人々は日本クルド協会の謝罪を信用していない。なぜなら、彼らは嘘をついているからであり、人々はその嘘に対しこだわっているゆえ、憎悪の炎はなかなか冷めてくれないのだと思われる。奇跡の正直者社会である日本人の本質は、規律と他人への配慮で成立しているから、その掟を平然と破ってくる相手には、ある意味容赦ないかもしれない。
人が良い分、裏切りと詐欺を許容する余地はない。日本人は嘘もつくが、それは本質的に人を傷つけないためにつく嘘で、世辞とも言われる。日本社会はこの本音と立て前を駆使して混乱を器用に避け、それゆえ建て前上では、余り感情をあらわにしないが、一度見限ると二度と信用はしてくれない怖さも兼ね備えている。