韓国の法曹会を描くドラマ、その背景にある制作者の思いと俳優の演技の素晴らしさ
高視聴率ドラマ 全10話 「未成年裁判」(日本語のテーマ)キムヘスが主役の判事役。ハマり役と絶賛された。さすがベテラン女優の演技に圧倒されるドラマ。
一方2020年放映された「ハイエナ」は弁護士役だが、このドラマのキャラクターとは対照的、一臂狼で何も怖いものはないと突き進む、大手の法律事務所をものともせず、代表(悪役という設定)を追い込んでいき、最後にガッツポーズ、というようなストーリーだ。
こちらのドラマは少年事件を裁く判事で、しかも自身の暗い過去を背負っている。その過去のために少年法のあり方を根本から問い直して 法曹界に切り込んでいる。現実に少年法で裁かれる判事の役割や責任に疑問を強く投げかけ 自分の裁く事件の少年に厳しく立ち向かっていく役所。
事件は全て実際に起こった少年たちの事件をもとに作られているという。衝撃的なのは 過去日本でも起きた神戸の少年のバラバラ殺人事件と非常によく似ているストーリーが第一回の事件。
制作背景(記事より)
「未成年裁判」は実際に韓国で起きた凶悪な少年犯罪事件を元に作られているが、リアリティだけで人々の興味を煽るものではない。企画は本作がデビュー作となる新鋭・脚本家のキム・ミンソク氏が、裁判の後も法廷を出た少年たちの人生を見守ることになる少年判事に関心を持ち、4年余りを費やして少年審判経験のある判事と関係者を取材し、アドバイスをもとに脚本を練り上げた。特徴的なのは、少年刑事合議部というフィクションの部署を設定した点だ。少年審判は、実際には一人の判事が行う裁判の形式を取っているが、単独で事件を取り扱ってしまうと各々の関係性が見えてこなくなる。取材で出会ったある判事の助言で生まれた脚色によって、多様な背景を持つ人物が、それぞれの意見をぶつけ交錯することでバランス感覚を持った物語が立ち上がる。少年犯罪を義務的に裁くのではなく、犯罪のバックグラウンドにも目配せを忘れない厚みのあるドラマが成功した。
こうした製作陣と呼吸を一つにした名優たちによって完成度が高まった本作。特にキム・ヘスとイ・ソンミンのフィルモグラフィに注目すると、今回のキャスティングは何か偶然とは思えないものがある。かつてキム・ヘスは、犯罪被害者が加害者の罪を赦そうとする心の重みをつぶさに追った韓国SBSのドキュメンタリー番組『赦し〜その遥かなる道』(07)でナレーションを務めた。作品に携わり、様々なことを考えたうえで、出演料全額を犯罪被害者支援団体に寄付したそうだ。
また本作でカン部長判事に扮したイ・ソンミンは、娘を少年犯罪で失った父親が犯人たちに復讐する『さまよう刃』(14)で、私的制裁を何とか止めようとする刑事を演じた。彼はその時のことを「少年犯罪の問題は単純ではない。どの立場に拠るかで意見が異なる可能性がある」と痛感したと振り返る。触法少年たちを憎むシム・ウンソクと、少年の未来のために法改正を望むカン部長にそれぞれ扮した二人の演技には、過去の役で得たスタンスが支えているような力感がある。
触法少年の複雑な背景を描く『未熟な犯罪者』
韓国では本シリーズより以前から、深刻になる少年犯罪を題材にした作品が様々な視点で作られてきた。多くは被害者の父母が私的に制裁を加えるリベンジ・ムービーで、被害者に寄り添う一方で「少年犯罪、厳罰化あるのみ」という世論の声を代弁する作品が多かった。そうしたなか、加害者と被害者、それぞれの背景に真摯な眼差しを向ける作品もある。
たとえば映画『未熟な犯罪者(12)は、第86回アカデミー賞外国映画部門に韓国映画作品として選出されるなど、高い評価を受けた作品だ。動機も手口も稚拙な犯罪を繰り返し、少年院に送られていたジグ(ソ・ヨンジュ)と、死んだと聞かされていた母ヒョスン(イ・ジョンヒョン)の初めて親子生活を描いている。17歳で出産し、すぐに失踪した母ヒョスンは、見た目も行動も実に幼い。ジグを引き取ったのも思いつきのようにみえる。しかし、若かった彼女が苦しい時、誰にも頼れなかった孤独は彼女一人の責任ではない。上映の際、カン・イグァン監督は、少年たちの非行が社会問題のしわ寄せの結果だと指摘した。1997年のアジア通貨危機以降、韓国では離婚が増え、見捨てられた子供たちが行き場を失い、軽犯罪を繰り返しているのだという。多くが平凡な子であるにもかかわらず、少年犯罪をことさら特異で猟奇的なものとしか報道しないマスコミや、触法少年を見放してしまう社会こそが元凶ではないかと指摘した。社会が非行少年を排除するのではなく受け入れることから更生のスタートラインに立つのだというメッセージを明確に打ち出し、少年法厳罰化の流れに疑問を投げかけた本作は、韓国では少年院と保護観察所で試写会を開催された。
「未成年裁判」が示した、人を救うものとしての“法”
「未成年裁判」は、これらの作品では描ききれなかった少年事件の法廷に踏み込む。被害者と加害者、裁く者と救う者といった多角的な視点で未成年の犯罪者である少年少女たちや被害者と誠実に向き合うことで、大人である判事たちも成長していく姿が描かれる。たとえばカン部長は当初、ウンソクの審判に大声で怒鳴りながら難癖をつけ、韓国ドラマにありがちな男性上司として登場するが、エリート高校に通う長男の試験漏洩事件を知り、決断に揺れるエピソードはシリーズを引き締める中盤のハイライトと言ってもよい。罪の意識に苛まれて自殺を図り、重傷を負った最愛の息子の車椅子を押しながら法廷に向かうカン部長のシーンには、大衆を惹きつけるドラマ性がありつつ、触法少年とその家族のあるべき姿勢を明確に示されていて興味深い。
「触法少年には厳罰ではなく指導」と説くカン部長判事(イ・ソンミン)Netflix
終盤、ウンソクと因縁深い少年部判事ナ・グニ(イ・ジョンウン)が現れる。「裁判はスピード勝負」と、少年法の原理原則に従った素早い判決が至上主義のグニの審判は、結果として被害者をないがしろにしてきたのだった。最終エピソードでは、ある少年が再び犯した凶悪事件をめぐり、ウンソクは、たとえ法に即していても非行少年に「何をしても許される」と思わせることは長い時間被害者を苦しめ、誰も守らないのだと必死で訴える。ウンソクの言葉に心を打たれたグニは法廷で、「これまで自分は審理に私情を挟まずに判決したことが、あなたたちを傷つける結果になった。大人として謝罪したい」と口にする。
最後に法廷で少年たちに語りかけるナ・グニ判事(イ・ジョンウン)Netflix
このドラマが 投げかけるテーマは 人の尊厳で、被害者 加害者を天秤にかけるのではなく、その人の心の痛み 傷ついた心や身体 それらを含む家族の存在を問うている。そして 最後の言葉にあるように 一人の子どもを育てるには 一つの村が必要、村全体で育てなければ、子どもは育たない 社会が子どもを育てる、という信念に他ならない。グニ判事が「大人として謝罪する」のは 社会としてと言い換えたいという深い思いだろう。