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水源地からの多摩川プロジェクト その2

笠取山登山から2ヶ月 2月1日 奥多摩湖から奥多摩駅まで 
奥多摩むかし道を歩く。1月に降った雪が 日陰になっているところに残っている。奥多摩駅から 小河内ダムまでバスに乗り、ダムで降り、水根の停留所から むかし道に入る。



中腹まで上り坂 ダムと湖がよく見える。むかし道はまだ人が住んでいる地域もある。車で登って来られるのだ。

こういう場所での暮らしは車がないと生活しにくい。でも眺めは最高!

ということで、携帯で音楽をバンバンかけて集落以外の山道を歩く。


集落から旧青梅街道に出る。下を多摩川が流れている。惣岳渓谷だ。多摩川はくねくね曲がりながら 流れていく。

小河内ダム建設時の線路、鉄橋がそのまま残っている。昭和30年で完成なので、相当古い。半世紀前。


むかし道にある トイレ。外観も素敵だけど、中のトイレも最新式で 綺麗に清掃して衛生的。素晴らしい!

道沿いのお宅の前 冬の薪を積み上げている、美しい! ちょうどご主人がいたので、素敵ですね、と言ったら 今は石油暖房で 薪は使ってない・・まあ、飾りだな、と 。でも 毎年毎年積み上げたら、家が薪で埋まってしまいそう!

奥多摩駅近く、家の両側にお蔵のある家、私が子どもの頃、呉服屋さんだった・・町の名士のお宅。裏にもお蔵がある。小学校の同級生の家だ。実は私は奥多摩出身。母の生まれは小河内村 つまり奥多摩湖の湖底に沈んだ村(石川達三が日陰の村という小説にしている)母は都内の賛育会病院というところで助産婦の資格を取り、奥多摩駅近くで助産所をしていた。町の病院は1カ所、お産は自宅で という時代。母は山の上でも毎日沐浴に通い、お産の知らせで迎えに来ると夜道を急足で産婦さんの家まで行くという過酷な仕事をしていた。私は奥多摩には中学まで 氷川小、氷川中で学んだ生粋の奥多摩っ子。今回は生まれ故郷を歩いているわけ・・笑
調べたら 私の小学校時代の この家の現当主、は町の支援事業を始めていた。
さすがですね。昭和の時代に町長を務めた木村源兵衛さんの孫にあたります。
https://www.oksf.org

氷川神社 子どもの頃の遊び場! この三本杉、私を覚えているかしら?
お囃子が聞こえる時期、夕方から落ち着かない お祭り大好き女の子だった。神社の境内に紙芝居やさんが来て、子どもたちが群がってた。紙芝居屋さんの水飴とお煎餅が大好き!ああ、今でも食べたい!大氷川は鹿島踊りに近い獅子舞 南町は御神楽の屋台が繰り出す、夏はお祭りで盛り上がっていた。今は多分、もうないのかしら?子どもの数も減って、現在は過疎地になった。😭

多摩川河口まで 80数キロだ。まだまだ 川は始まったばかりだ‼️
暖かい季節を迎え 多摩川歩きも楽しみ、どんどん歩きます!

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