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開運力で転職を成功に導けるのか!#37

第三章 何が何でも海外

<ユージンという男>


今の20代までの若い人達にとってはすでに存在して消費税でしたが私がテネシーにいて最初に驚いたのがこの税と支払いが小切手だったことです。当時食品は6%ぐらいの消費税を取られたと思います。

住まいの近くに行って食品を買い支払うと購入金額より高いので初めはボラレタと思ったものです。銀行口座を開くと小切手帳を貰えるのですが、とてもリッチな気分になったことを覚えています。だって日本では小切手なんて大金持ちしか持ち歩いていないイメージでしか当時は思ってなかったからです。何を買うのにもナッシュビルではチェックを使うのが普通でしたので直ぐに慣れましたけど。

店のオープンは11時から14時、17時からで21時で閉店はとなっていましたので毎朝9時頃に出社して21時から22時に店を出るのが習慣になり昼の休憩時間にナッシュビルを観光していました。

9時半頃に和食の尾崎さんと黒人のアルバイト3人が出社してきます。私は2.3日彼の仕事ぶりを見ていました。仕込みには全くアルバイト達を使わずに独りでもくもくとやっています。アルバイトはの仕事は主に洗物と掃除くらいなものですから暇で遊んで知る感じです。そこで尾崎さんにアルバイトに手伝させるといいのにと話したら「こいつらに、教えることは何もない、かえって面倒なことになる」なんて言い出しました。

メニューはすき焼き、てんぷらがメインで他はあまり凝ったものはなく居酒屋のメニューの感じでしたのでこれは私でも出来そうと直ぐに思いました。赤字の店だというのは日本いた時から知っていましたので先ず人件費を削ろうと考えました。

彼には40万円を払っていました、当時でではけっこういい金額なんです。もう一人のすし職人にも同金額でしたが、その代りには私にはできないので目を瞑るしかないと思いました。彼はここにきて3年ですが昇給もなく不平を私に言ってきました。昇給をしてほしいと頼んできたのです。

私は一応肩書きは副社長ですが権限は何も持っておらず、社長にFAXでその旨を伝えました。すべて事を日本との連絡はFAXでやり取りしていました。すると「辞めさせる方向にしなさい」と命令がきたのです。

本当はそんなFAXが来たら穏便に対処するのが良いのでしょうが、私はあえて見せて反応を見ました。彼はそのFAXを見ると激怒しました。たぶんこの3年間いろいろと苦労があったのでしょう、私に「社長ににはもうついていけない」と言われ、これはチャンスかなと思ったのです。

私は彼の分まで働くので彼が辞めることになったら退職金を払ってくれないかと相談しました。当時私の給与は25万くらいだっと思います。それで彼の代わりが出来るなら得かと社長が思ったのか退職金50万払うのをOKしてくれました。当然彼は喜び、帰国したがっていたこともあり直ぐに承諾して1週間後には帰国となったのです。

そこから和食板前と店の責任者として企画をだしていきました。寿司職人の尾崎さんは長年アメリカで働いており独身の45歳で生涯アメリカで過ごしたいと言っていました。彼もここにきてまだ3か月くらいで店が赤字なのは知っていて何とか盛り上げようと思っていたらしいのですが佐々木さんとは仲が悪く意見も合わなかったのか、帰国したことで気分を良くしていました。そして店を盛り上げようなんて応援してくれました。

店は土曜日はそこそこお客様は入るが平日はランチもそこそこで夜もパッとしない店だったのです。そして私が和食の板前になりアルバイトを3人から2人に減らそうとするとナンシーからストップがかかりました。洲の法律があって勝手に解雇はできない、特に黒人に対してはシビアで訴訟問題になるというのです。そこで私は考えました。

彼はいつも遅刻をするのです。それを逆手にとって遅刻を3回すると辞めてもらうとい店のルールを作りました。案の定、彼は遅刻を繰り返し辞めてもらうことになったのです。そして最年長の黒人でユージンと名乗るアルバイトに料理を教えてることにしました。

このユージンがとんでもない奴で私はアメリカという国を知ることになります。つまりここで忍耐力を覚え、教え方覚え、人の扱いを覚えていくのです。

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