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開運力で転職は成功に導けるのか!#32


この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。

第三章 何が何でも海外
<気ちがい広場>


やっとマラケシュに着いた。

マラケシュの目的は何と言っても旧市街にある「気ちがい広場」に行くことでした。日本からロンドンに行くフライトで隣に座った男が面白おかしく話してくれたのでマラケシュに行きたくなったのだ。

彼からの情報だとタクシーはボラレルので乗るなって言われていたので旧市街はバスで行くことにした。バスの出発時間までかなりあったので駅の近くを散歩してみた。

すると女の子や男の子が「チップ、チップ」と手を出してよってくる、 「ノー」なんて首を振ってもしつこく言ってくるので無視して歩いていて、数分経って後ろを振り返ると30人位の子供が私後を着いてきたのだ。  

ゆっくり歩いているとなお増えそうなので小走りになり逃げたものだ。  気ちがい広場はフナ広場と言ってブツブツ交換が盛んだ聞いている、お金でも当然、革製品、衣服、食べ物など買えるのだが、是非やってみたいと思っていたのだ。

何で「気ちがい」と言われのか行ってみて体験してみて理解ができた。私は先ずホテルを探した。ホテルは広場の近く沢山あってその中でもシャワーがあるホテルを見つけそこに決めた。

そこの主人がアラビア語で説明してくれるのだが意味が私には通じない、シャワーの説明になって、どうやらモロッコは水が貴重品らしく1回1.5DHかかると言っていた。日本円で当時50円~70円だったか?       ホテル代が5DHでかなり安いと思ったことを記憶に残っています。

私は喉が渇いたのでバールに入った、メニューの字が読めないのでみんなが飲んでるものを指さしそれを頼んだ。みんなが飲んでいるのはお茶と思っていたからです。

バーテンはカウンターの横にある観葉植物を無造作に手で千切ってコップに移し、そこに砂糖らしきものを入れお湯を注いだ。ミントの香りがしたのでこれがミントティかなんて初めての体験に胸を躍らせて口をつけようとすと、なんか虫のようなゴミのようなものがいっぱい浮かんでいる、実はこれはハダニです。

ハーブには虫は付かないなんて言うけれど葉の裏にいるのです。当時そんなことは知らないが、どう見ても虫で熱湯で死んでいるかもしれないけど飲むのは遠慮しました。

それと入り口に大皿位の大きさの茶色いパンらしきものが山積みになっていました。しかも地べたに置かれています。上の方ならまだしも地べたのパンに当たった人は?不衛生で・・なんて思ってバールを後にしました。

広場の入り口に来るとモロッコ人が沢山たむろしていました。私を見るなり「カラテ」「ホンダ」「スズキ」なんて声を掛けてきます。立ち止まったりすと私の周りに集まってきて「アチャー/アチョー」ってブルース・リーの真似したりします。きっと「燃えよドラゴン」でも見たのでしょうか?   

中国人も日本人の区別はつかないのでした。私も中学生の時、カラテを習ったことがありましたので型ぐらいはできましたのでやってみると周りの人が大いに周りが湧くんです。調子にのって転がっている空き缶を蹴って見ても大脇でした。つまり暇で仕事もなく、一日中ここにいる人達でした。そうそうにスターになった気分でクレイジー広場に到着しました。

日本でいうと夜店の屋台が集まっている感じです。ちょっと立ち止まってみると「ジャストモーメント!」「ルックアッツミー」と言ってベルトを見せました。欲しくはないのですが「ハウマッチ?」というと「300ドル」という、とっても高いので背を向けて行こうとすると「ジャストモーメント!」「ルックアッツミー」とまた言ってきます。

すると今度は「1ダラー」と極端に下がってくるのです。        そうここは値段交渉をして買う場所でそれが気ちがいのようなやり取りだから「クレイジー広場」と呼ばれていたのです。

   私は理解したので今度は自分のいらない物で交換しよう考えました。一番価値があったのはカメラの「写るんです」と「ビニールのジャンパー」でした。それと民族衣装とかベルトを交換しました。とても楽しいやり取りが出来ました。

これのやり取りが何処か脳の一部残っていたのでしょうか?独立してからこの駆け引きの商売をやっていくのです。

マラケシュに滞在しているうちに日本人を2人を見かけ行動をともいすることにしました。やはり心細いのと物騒でしたから。行動を共にしたのは二日ぐらいで名前も覚えていません。彼らがバレンシアの火祭りを見に行くと言われたのでそこまで一緒に行くことにしました。

そしてマラケシュからカサブランカに移動したときにまた危ない目に遭遇するのです。


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