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開運力で転職を成功に導けるのか!#39


この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。


第三章 何が何でも海外

「逃げるように去ったナッシュビル」

東京本社から送金が遅れがちになってきました。            この店では給与の支払いは月に2度ありました。米国はほとんどこの制度で支払は小切手(ペイチェック)でした。経理はヘレンという名前の銀縁のめがねをかけインテリっぽい雰囲気の20代の女性がこの作業をしていました。

私が英会話も上手ではなく事務所にも朝一に本社からのFAXのチェックにに行くだけなので朝の挨拶をすると店舗に行くのがルーティーンでした。 店にいる時間が多いこともあり積極的に会話することはなかったのです。しかし、支払いの資金が不足になってくると、ヘレンはそれを私に伝え、本社の経理部長に「送金願い」をFAXするというパターンでした。

大体、送金願いをだして1週間以内に振り込まれるのですが、ある時から本社が店に送金が送れるようになったのです。しかし2週間近く遅れることがあり給与を支払う時期にが近づいてくると、ヘレンは私に再三、「不足分をどうする?」「どうする?」と言ってくるのです。

それで毎日のようにFAXで本社にお願いをしてぎりぎりに間に合いうことが増えてちょっとおかしいなと思い出したころに、自宅から東京の同僚に連絡をしたのです。すると国税局が東京本社に入ってきて会社の資金が凍結されていることを教えてくれたのです。

私はその意味がよく分からないでいましたが送金はされないことは理解できましたのでとにかく7日後に迫るペイチェックの日までにお金をこちらで用意しなければならないと思ったのです。銀行に預けるは売り上げの現金と支払い小切手、クレジットカード売上でした。そのなかで現金だけは手元に残すように指示をヘレンにしました。

そして食品の卸業者、電気、水道、ガス、とか給与以外の支払い相手には支払いを伸ばすように頼みました。状況が判っているヘレンは意外に事上手く処理をしてくれました。この時からヘレンと私は名コンビになります。いろいろなアイデアをヘレンが教えてくれるのでそれを任せると言った具合です。

まあ、潰れてしまうとお互いに困るのは判っていましたから言葉足らずでも理解はできたのです。漸くあと少しで損益がとんとんになるはずでしたが、一つ狂ってくるとまた遠のく気がしてきました。

次の2週間後のペイチェックまでどうするかと心配になるものです。そしてイベントを企画を私は考えました。本当はやってはいけないのですが、嘘の創業記念月間としてクーポンを配布したり現金の場合は通常より10%OFFにしました。ランチの売上、ケータリングの売上、ディナータイムの売上が少し上がったと感はありましたが思ったような現金は入ってこなかったです。

もう期日まで間に合わないかと思ったとき女性経理部長から電話が入りました。「申し訳ない、ごめんね~。苦しいでしょう、判っていても出来ないのよ」と電話口で謝ってきます。

これまで国際電話は高くつくのでFAXのやり取りでしたからちょっとびっくりしました。話を聞くと最後の送金を300万円するという。そしてこれは社長個人からの送金らしいことがわかった。どんなことが起こってるか見当もつかない状態でしたが途中から同僚が電話に出た。

「社長が脱税をしていて5億円の追徴課税がでたらしい、社員は全員辞めることになった。お前も早く辞めろ、そうでないと責任をたらされることになるぞ、もし辞めて日本帰ってきたら、社長以外で別会社を作る予定でそこにお前のポストを作っておくから戻ってこい!」と言って電話は切れた。

当然血が引く感じでした。ちょっと危機迫る言い方だったのでこれはすぐに動かないかればならいと感じた。私は素直に危機を感じ帰国をすることに決心した。しかし、簡単に帰国してもよいのか?これからこの店をどうするべきか?思っていた。

責任を感じながらも肩書きだけの責任者ですし何も決定できないことも判っていたのものの本当のことを言うかどうか迷っていました。資金繰りついては送金の300万が届けばいったんはこの店運営も一旦は落ちくし売上もまずまずの状態が続いていたのでどうにかなるかなと思い始めたのだ。

ユージンも何とか天ぷらも見栄えは悪いが出来るようになり他のメニューもこなせるところまで来たし他のアルバイトもサポートするようになり私が調理場からちょくちょく離れられるようになったのが不幸中の幸いだった。

司職人の尾崎は相変わらずマイペースで私生活、仕事を楽しんでいたので、あえて会社が危機になっていることは知らせずにいた。最近一番元気なのはリチャードでした。GMのグレッグが入社して1か月目でB型肝炎にかかり退社しその代役をリチャードに任せナンシーと一緒に店の運営を切り盛りしていたからだ、そしてここ最近の売上が上がってきて自信がついたのかやる気をだしていたからだ。

「私は急きょ日本に戻らなければならなくなったが新しい責任者が来るまではあなたとナンシーでこの店の運営してください。そしてヘレンと協力をして支払いもお願いします。」と言うと2人は喜んでくれました。そして次の日に辞職願いをFAXで送り帰国の為のフライトを取りました。

アパートとか電話とかの手続きはリチャードにまかせ返金があればすべてリチャードにあげると伝え私は足早に皆に挨拶して店をでた。今思うと無責任この上ない、人としていいものかと悔やんだものです。しかし、同僚からの日本に戻れなくなるからと言うことを聞いて保身に走ったのです。

出国するときにが一番ドキドキしました。もしかしたら管理官に止められるのではないかと思ったからです。無事に乗り継いで成田につき、そこから麹町にある本社に行くとすでに人影はなかった。

休日の会社のようにがらんとしていました。社長室に行くとナッシュビルで一度あった経理責任者が何やら事務処理をしていた。そこに私は近寄り「すでに退職願いはFAXでだしてあります。社員証と健康保険証をお持ちしました。」彼は一瞬こちらを見たが、すぐに帳簿に目を戻し「ああ」と言うだけだった。この会社はすでに終わっていたのだなと思った。


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