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開運力で転職を成功に導けるのか!#29

この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第三章 何が何でも海外

<不必要な転職>

「辻が花」、知っている人は殆どいないかもしれません。辻が花は、縫い締め防染による染めを中心にしたもので、室町時代末期から江戸時代初期に至る短期間に隆盛して姿を消した。現存遺品数が300点足らずにとどまることもあって「幻の染物」と称されていました。

当時、もっとも有名な着物作家は一竹美術館もある久保田一竹でした。  私の入社した呉服会社は青山みともといって東京で「幻の辻が花」を久呂田明功が復活させ、それを主に売っていた会社でした。

月とスッポンとでも言いましょうか、私がこれまで着物を売っていたのが普通の着物としたら入社した会社は作家ものですから着物が高級、つまり値段が張るものばかりでした。

面接まで行けば必ず受かるはずと自信がありました。試用期間3か月、給料13万円と待遇は悪かったのですが、「付き合いを許してくれるなら」という思いで了承して働く事になったのです。

しかし、入社の事を伝える為に彼女の家に電話すると彼女の母親がでてきて私に言いました。

「知子は心身症で入院しております、いつ治るかわかりませんのでもう連絡はしないでください」

私はその言葉でだらしない話ですがあきらめました。心身症が本当のことかも確認しないで諦めたのです。がんばってもムリかなと咄嗟にかんじたのです。せっかく転職までしたのにという気持ちはありましたが、その挑戦で一歩上の会社で働けることになったのです。

配属先は赤坂店でベルビー赤坂の中にありました。赤坂見附はビジネス街で横浜の田舎で働いているのはちょっと違って通うだけで「俺、立派だな」なんて思ったものです。青山みともは当時、銀座、青山、表参道、赤坂という一等地にありました。

赤坂店の社員は私をいれて7名でした。1か月ほど店頭販売をして実績を上げたので展示会で販売することを許されました。なぜ嬉しいかというとボーナスに響いてくるからでした。研修期間中でしたが販売力を買われ参加することになったのです。

展示会といっても以前のように着物を並べ、積んで売るものではなく、銀座のセントラル美術館を借りてイベントをするのです。実際は着物販売なんですが、一般客は美術館で展示物を見に来る感覚でした。その為に普通の呉服店で着物を着た販売員がいる感じではなくスーツでビシッと決めて展示物を説明する係官のようでした。

店長・次長は背もスラット高く、ハンサムでいわゆるホスト的な人でした。この1年で採用した人は私を含めごく一般的な人のようでした。この会社はこの展示会スタイルで急成長したらしいです。

社長は染色研究家と名乗り、ある時は社長、ある時は先生となって社員のフォローをしていました。売上重視なため厳しい規則がかなりありました。

会社が「幻の貝紫」で作った帯、着物を発表しました。これも辻が花と同じ手口と言ったら悪い感じがしますが、クレオパトラが愛した紫色を復元できたと発表したのです。

アンデスのアステカ民族が巻貝から選出した白い液を絹糸の束に付け太陽に当てると白色から赤紫に変わるのですが、この貝がクレオパトラの時代からある貝の仲間だということで「古代の帝旺紫とか幻に貝紫」と呼ばれ、美術館、デパートの催事場で販売会をして日本各地に飛んだのです。

私は半年もすると運も手伝ってか、いつもトップ5にいるようになっていました。この会社は売上が一日0だった時は東京に戻される、見せしめみたいなことをしていました。仲が良くなった他の店舗の社員が戻されることになりました。

私は正義感から店長に社長に異議を唱えました。賛同してくれる社員も数人いましたが、いざとなると奮い立った拳を保護するのです。けっきょく私だけが文句を言っているよになりその時の展示会を外されることは無かったのですが、たぶん社長から店長はこっぴどく怒られたのでしょう、それから目の敵のようにされて展示会は外され、だんだん干されていくのです。

会社の雰囲気も売上重視になっていたので社員どうしギクシャクしてきました。そんな折、会社に不満を持っていた青山の店次長が私を呼びつけます。「俺、独立を考えているんだが、辞めた時、一緒にやらないかと誘われるのです。」私が仲よくしていた社員にも誘っていたので、新しい会社に鞍替えしようと考えていました。

結局その言葉にのったのが6人でした。現在会社はすでに倒産しており、今だから言えるのですが社長は結婚していましたがなんと両党使いの人で顔が堀の深い男が好きだったのです。だから当時の店長はホスト的な人達をやとったようです。

この会社は退職するのが多かったようで理由は後から知るようになるのですが、原因はすべて独断的偏見を持つ社長によるものでした。一番の問題は社員に手をだすこと、社員はすべて男です。しかし手をだすのです・・・そして断ると干される→辞めるようでした。

私のように異議を訴えて辞めるのはいなかったと聞いています。以前の危機一髪の似たような話を書きましたが、実際この会社ではあったのです。

特に青山店の店長はまさしくその男でした。私が地方の展示会で同部屋になったことがありました。郷ひろみ風な店長は夜な夜な部屋に戻らず「薔薇属」的な場所で遊んでいたようです。彼は女性的な言葉を使う、いわゆるオネイ言葉を販売にも使って売り上げはいつもNO1でした。その為、規律は破ってばかりで我儘なのに社長はそれに対して目をつぶることからもギクシャクする原因となったのです。

私と仲が良い独身の社員はボーナスを貰うと辞めにくいと考えてその前に辞表を提出しました。いわゆる先発隊でした。私達が店舗を決め内装・備品など計画準備にはいりました。8月の終わりに残りの社員が辞めてきました。そこからすったもんだが始まるとはだれも予想もつきませんでした。

つづく

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