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開運力で転職を成功に導けるのか!#38

この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。

第三章 何が何でも海外
<片言の英語で伝えるのは・・>


赤字の店を黒字にしなければなりません。                                                     先ず取り掛かったのは和食の板前の佐々木、黒人のアルバイトのリストラでした。そしてバイトに料理を教えることにしました。教えることにしたのはこの店の開店時からいる40歳代のユージンという気さくな雰囲気の黒人男性にしました。

彼との付き合いはカルチャーショックから始まりました。散髪がしたくなったのでヘアーサロンか床屋のバーバーを知らないか?と聞いたことがあります。すると「俺に任せろ、俺がやってやる」とユージンが自信ありげに拳を胸にあて言う。なんでもヘアーサロンで働いたことがあるそうなんです。


「7ドル、特別に7ドルでカットしてやる」とさらに自信ありげに口調が強くなった。聞いてみると14ドルぐらいが店の相場らしく、7ドルなら半額ですし英語が通じないと困ることも考えてお願いしました。

休み時間にユージンのアパートに行きカットしてもらうことにしました。  彼は得意げに散髪用のハサミを私に見せます。

「これは、カット用のハサミだ、分かるか?」なんていいますから、ちょっと安心してきました。彼は鏡の前に座らせました。すると、いきなり前髪をパッサリ一発で切った。

その後も少しづつ切り始めたのだがどうも日本のような感じではなく不安になってきたので私はユージンに再度聞いた。
「あなたは、本当にカットの経験があるのか?」
「もちろん、大丈夫!」
「何年、やったの?」
「1年はいたかな、見ながら覚えたよ」
「見ながら?」
「そうだ、掃除をしながらだからな~、しっかり見たよコツはわかる、だから問題ない」と言う。


私はまだこの国がどういう国か知らなかったのです。                                   私は日本の床屋、ヘアーサロンのイメージで考えていたのですが実はアメリカでは全く違うのです。それは日本のような繊細さはなく雑であるってことと散髪は殆ど自宅でやるってことでした。ヘアーサロンは主に染めに行くって後から聞きました。

なにもユージンが特別ではなく、この国の「I CAN DO THAT」は万事そういうことを意味している当たり前に出て来る言葉だったんです。日本ではの「できる」というと、ほとんど完璧にこなすことを意味します。

たとえば掛け算の九九が出来ると言えば、7の段、でも6の段だろうが全部暗算で 計算できると言うことです。しかし、この国の人は5の段までマスターしてなくても「九九ならまかしておけ」みたいに胸を張るんですね~。  それは詐欺とかではなくて本当に出来ると思っているです。                        しかし、そう言わなければならない環境も事情もあったのでしょう。日本のように謙虚でいては職は見つからないのかもしれません。                            私は絵に描いたような坊ちゃん刈りをされてしまったのです。


そして、今まで皿洗いしかやったことが無いユージンに調理を教えて行くことになります。最初は汁もので味噌汁、天つゆの作り方教えることにしました。ボールの内側に出汁の線、醤油の線、みりんの線とかをマジックで書いておいて、その線に合わせて入れる良ようにしたのです。

しかし翌日作ってもらい味見をするとどうも違う感じ、甘過ぎるのです。昨日教えた時はちゃんと出来たのです。私はユージンになぜ違うか聞いたら、なんと味醂を多くしたらしいのです。当然、線までつけて間違わないように簡単にしたのにと怒ります。

ちゃんとやれよと言いつけましたが翌日に味見をしてみると今度はしょっぱいのです。まあ、醤油の分量を多く入れたことは判ったので、また叱ります。そして、次の日も、次の日も味が違うので当然起こりますが一向に味が一定にならないのです。

単純な作業でできないはずはない、これは俺を馬鹿にしているなと思ったのです。次の日、彼の作業を見張ったいました。やはり、定量を守らずに入れていますので、現行犯逮捕のように詰め寄りました。

「なんで、醤油をこんなに入れるんだ、辛くなるだろう」するとユージンの口から驚きにことばがでた。

「今日は暑いからホットにした方がいい」と言う。「じゃあ、雨ならどうする?」
「味醂を多く入れるよ」としゃあしゃあと言う。

なんてこった!初めは理解できないがそのうち笑いがこみあげてきた。なるほど聞いてみれば彼の言い分があったわけです。初めてユージンの考え方が分かった気がしました。それは根拠のない我流ですから私は説明をもう一度しました。

「天つゆはこの割合が基本なんだ。雨が降ろうが晴れようがこの割合が一番いいんだ。もし、お客様がもの足りない味と感じていればテーブルには醤油も塩もおいてあるから、自分で調整するんだ」とたどたどしい英語で言ってみると「判った」と言う。

そして次から本来の天つゆの味になったのです。これは単に私の英語力が無かったことから始まったのです。何を怒っているかも判らなかったのでしょう。たぶん「ベーシック」って言葉だけが理解したのではないかな~なんて今は思っています。

だから難しい作業をするときはナンシーを呼び理解させました。それから時間はかかりましたが少しづつ出来るようなってきました。すると動きも変わってくるのです。彼も楽しくなってきたのでしょう、生き生きと仕事をしているように感じました。

アメリカ人には頭ごなしに言ってはいけないのです。それを早めに気づいのは収穫でしたし、日本人でも同じことだと後から気づきます。自分が出来るからといって相手にそれを望み、出来ないと怒る私でしたがこのことから考えを直していくことのきっかけになったのです。


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