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開運力で転職は成功に導けるのか!#51

この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。

第四章  起業するのは大変

裏切り者

代官山の店舗も札幌の店舗も商品がないために売上が沈んでいた。社長も売上の期待は望めないと半ばあきらめたようでした。私は有終の美を飾りたいと思っていました。これまでも転職の際「飛ぶ鳥跡を濁さず」と思ってやってきました。

このまま何もしないで閉店してしまうと商品が残るのはわかったので閉店セールを2店舗同時にするのを社長に提案しました。札幌店はOKとなりましたが代官山店にはあまりいい顔をしないというよりも、しなくていいと言うのです。

社長はこの店舗を他人にまた貸しをすることを考えていたようでした。私の知人で個人で卸業者をしている男を数か月前に紹介したことがあった。彼はこの店が閉店することを知っていた。どちらが先に行ったか分からないが8月から彼がこの店を借りることになったのだ。

家賃は彼が払うし在庫も彼が売る約束をつけたようだ。だから私が閉店セールを提案したが良い返事をしなかったのだ。そして新たに愛人の甥を営業に入れた。営業の田中とその他の社員は給料が遅配になっていたのですでに辞めていたのでその代りに入れたのだ。

ヨーロッパ商事はこの時点風前の灯でした。私はその間に会社を作る計画を立てました。普通は司法書士に頼むのですが資金を使いたくなかったので、会社登記を本を読みながらすすめていった。

会社登記する際に必要な書類は、「設立登記申請書」や「定款」のほか、「登録免許税納付用台紙」「発起人決定書(発起人が複数の場合は発起人会議事録)」「代表取締役等の就任承諾書」「取締役の印鑑証明書」「印鑑届書」「出資金の払込証明書」となります。これを2か月位かけて作っていきました。そして不なれでしたがこんなめんどくさいことをやり遂げたのです。
一番悩んだのは資本金を株式会社にするか有限会社にするかでした。
有限会社は/設立時の資本金が300万円以上/社員数が50名以下/取締役の任期に期限がない/決算の公告義務がない
株式会社は/資本金1000万円以上/取締役の任期は2年/決算の公告義務(株主総会)がある。

どちらが簡単かと考え、資本金800万円の有限会社にしたのです。   なぜ800万にしたかというと税制の面でを考えてでした。       801万から税率が上がるのです。印紙も変わってきます。

私は法務局に通い3度目でようやくOKをもらえたのです。会社の設立日は7月28日で私が任された代官山店が閉店する3日前のことでした。

今もし同じことをやれと言われたら絶対にやりません、費用を払ってやってもらでしょう。その位私にとっては大きなハードルでした。しかし、何とか費用を減らそうとしたのです。今は1円から株式会社出来るのでその気になればすぐに出来るはずでが昭和はそんな時代でした。

私は会社を辞めて起業する事は社長と愛人の経理の二人には秘密にしていました。本当は会社に残って立て直すのが筋かとも思いましたが私は裏切り者と呼ばれる覚悟で独立したのです。

これまで転職をしてきましたが、どんなに綺麗に辞めたと自分が思っていても悪く言われるのです。最後に売り上げを作ったり、ボーナスを貰う前に辞めてきたのですが結局後から耳に入って来るのは裏切り者レッテルだったのです。

しかし今回はそんなことをは気にしませんでした。それは希望に満ちあふれていましたからです。失敗はすることは絶対にないと根拠のない自信がありました。この1.2か月だけは不安と心配が1ミリもなかったし信じられないほど運が良かったからです。

それは運かもしれません。
人には目には見えないけれど何かに押されることが何度かあります、それが運命のターニングポイントだと思ってください。これでいいのかなあ~このままでいいのかな~と不安がよぎる事が一年を通してあればそれがターニングポイントの時期がきているのかもしれません。

その状況がネガティブな思い、ポジティブな思いどちらもあるかもしれないですが、 これは後になって自分がこれから何かを始める与えられた使命と気が付くときかもしれません。


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