見出し画像

開運力で転職を成功に導けるのか!#34


この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。

第三章 何が何でも海外
<サターンリンターン>


バレンシア駅に着いた3人はモロッコからスペインに入国してちょっと気が緩んでいました。あまりにも物騒な日々を過ごしていたものですから近代的な街にきてホットしていたのです。火祭りは別行動をとることにしました。

スペイン三大祭として有名な「バレンシアの火祭り」火祭りは巨大な人形を燃やしたり、爆竹のショーを行ったり見どころ満載のお祭りで青森のねぶた祭りのねぶたを燃やすような感じで、まあ賑やかです。火の粉が飛んでけっこう危険だなと思いました。その一夜は何事も起こらず私は翌日駅に向かいました。すると昨日別れた2人が駅に居ました。でも一人の顔が変です。下唇が切れて、顔が腫れているようなんです。

「どうした」

「昨日、ここで皆と別れたと次に行く場所を調べていたら」

「どこに行くのですか?」と日本語で話かけられたので振り返るとスペイン人の若い男がニコニコしていた。

「私、日本人すきです。だからあなたにコーヒーを飲ませたい」という。 彼もモロッコから来て油断していたのであろう、普段、見も知らない男にそんなことを言われても貰うことはないのだろうが、この時は貰って飲んでしまったのです。

飲んだ直後に前進がしびれてきて目がかすんできたらしいのだ。手足がこわばって来てしゃがみ、そしてうつぶせになった時にリュックを取られてたのです。

男が去って行くのが分かるのだが痺れていて声も出せないし動けなかったのです。リュックにはお金とパスポートが入っていてそれを盗まれてわけで帰国できないわけです。

私ともう一人の無事だった男とバレンシアの駅でしびれクスリを飲まされた男をベンチに座らせ、駅に来る日本人、ひとりひとりに声を変え、理由を話にカンパをお願いした。火祭りの後でけっこう日本人もいたのが幸いで訳を話をするとみんな快くカンパしてくれて1万円ぐらいは集まった。

そこで、盗難された男はもう一人の男と一緒に大使館に行くと言い、2週間後にパリで会おうと約束して別れたのです。それから私はスペイン各地、ポルトガル各地をまわり集合の場所のパリに行きました。バレンシアで災難にあった彼もパスポートを発行してもらい無事に帰国できることになっていたのでお互いに喜んだものです。

一期一会で彼らの名前を全く覚えていません。ちょっと夢のような旅でした。海外が日本と違って危険な場所だと脳に刷り込まれたのが今後、何十回も海外にいく時に役立つ事になったのは良い経験でした。

------------------------------------------------------------------------------

話は戻って、「青山みとも」を一番先に辞めた私は後から辞めてくる人達の為に事務所を元店次長の岡田さん、今回は社長になるのですが、その彼と探していました。資金はどうするのかと尋ねたら、彼の実家が大島紬を作っている機やだったので資金はそこから借り、あとは付き合っている年上の彼女から借りたと言っていました。

会社名は「じざいや」となり、芝大門の一軒家の二階を事務所として使うことになったのです。2か月の間に8人が辞め合流しました。まだ何もしていないのに前途洋々な気分でありました。当然、給与などはなく貯金を崩して頑張っていた時でした。

半年で展示販売会を何度か行い資金も貯まってきたので事務所ではなくて店舗が欲しいとなり代官山で手頃の物件を見つけそこで店舗を構えました。 すると勢いがある「じざいや」が他人の芝は青いという感じで「青山みとも」の店長達が辞めて入社することになったのです。

すると店舗運営が少しづつおかしくなりました。当然です。名前が違っただけで上下関係は同じですから再び「青山みとも」にいるようです。しかもその時より店長達は働きません、命令ばっかりするのです。当初は8人ですから売上もどうにか採算が合っていたのですが余分の店長、次長が6人もいるわけで資金不足になってきました。そこで社長がとった行動はギャンブルでした。彼は競馬好きで資金が不足すると地方に行って稼いでくるのです。

つまり社長はその頃から店には来ないで資金稼ぎで地方を回っていたのです。その為に顔を合わせることはめったになくなりました。たまに連絡が来て待ち合わせの場所に行くと風貌も顔つきもギャンブラー化していました。

たいてい茶色の紙袋に100万円の札束が5.6個入ったものを渡され、会社の経理に渡すことを数回程やりました。しかし、毎度思うように勝ことも出来ませんので資金が不足するとまた元店長同士が内輪もめがはじまるのです。

私はこの先たぶん潰れると感じました。ちょっと焦っていると運が良く良い話が舞い込んできました。私の担当のお客様の不倫相手が大手の建設会社を辞めて麹町に海外不動産社を作っていて営業員を探していたのでした。

この会社は環境開発研究所という名で仕事内容はハワイのマンションやホテルのコンドミニアムの販売とテネシーのナッシュビルに日本食のレストランを経営していました。

知人からの推薦で私の営業経験を認めてもらい社長と会うことになりました。あった場所は銀座の日産ショールームの8階のレストランでした。どうしても早急に営業員が不足して必要ということで、4、5人欲しいとう話を聞きました。その時私は念願が叶うと思ったのでした。

私の念願は海外で働きたいと板前を辞めた時から思っていたからです。だからこのことで海外で働く事が出来るかもと思ったからです。この会社は和食のレストランを経営しており社長と面談する折に私の願いを話すつもりだったのです。

そしてこの面談をする前にあらかじめ4人のスタッフに話を持って行きました。やはりじざいやが危ない状態で妻子もあり死活問題になることから4人は快く承諾をしてくれました。

社長との話はスムーズに運び私の処遇の話となりました。社長はあまり驚きもせずに私をテネシーの和食レストランに行かせることを約束してくれたのです。その時私は28歳になろうとしていました。


この時は運命なんて語ることはできないし、ただ思うままに生きてきました。運命については今だからわかるのです。

第一章の#1で書いたと思いますが、サターンリターンの時期だったのです。運命が変わろうとしていたのです。四柱推命からみるとこの時期がやはり運命の変わり目、数秘も29歳で劇的な変化があると出ていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?