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開運力で転職を成功に導けるのか!#40


この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。

第三章 何が何でも海外
<やっぱりサターンリターン>


悪夢だったナッシュビルの2か月間だったと自宅で思い返していた。   日本からの送金が途絶えてから必死に働いた自分が懐かしく頼もしくもあった。

昼のランチ、夜のディナーの仕込み、車で1時間位かけて日本企業の工場団地に出かけ弁当を売りに行かなければならないので朝7時頃から1人で仕込みをしていました。夜は夜で客入りも良かったがウエイトレスが辞め人数が減ったのでウェイター&洗い場&調理とフル活動していました。

そんな仕事ぶりをみたのか、ユージン以外のアルバイト達が「こんなに良く仕事をする責任者は初めてだ。いろいろ見てきたけど、口ばっかりじゃにお前が一番だ!」と言ってくれたのが特に嬉しかった。
自分の頑張りが店の雰囲気を変えて行くことになったんだと思いました。

私はこのことで率先して頑張れば人は見ててくれるなだと改めて理解したのです。当初は命令でやらせようと思っていましたが、人は言うことを聞かず全員解雇したいと何度思ったでしょうか、もし、してしまったら今はなかったのだと振り替えりました。

自分ではこのナッシュビルでの仕事は得難い経験になったのです。自分の性格、力量を見つめなおすいい機会でした。それまでの自分は短気で強引でした。先ず、人は同等であることをアメリカで覚えました。

たとえ上司の命令でも、従業員は納得しなければ絶対に従わない。命令に従属する関係ではなく、対等だからです。だから、指示を出すというよりは、指示の内容を理解してもらう、というニュアンスにかえたのです。

副社長の肩書だからと言って傲慢になってはいけません。アルバイトがミスをしても簡単にはクビにはできないのです。このへんは当時の日本と違うところで、アルバイトの方も居心地が悪くなればさっさと辞めてしまいました。ちょうど私が職を転々としていた頃がそうでした。

しかしアメリカは権利の国です。特にアルバイトが黒人なら、人種問題までに関わってきます。いくら態度が悪くても、黒人を一方的に辞めさせると訴訟を起こされほとんど勝ち目が無いのがテネシー州でした。だから私はルールを決めて、そのルールを3回破ると辞めてもらうことにしたのです。

そんルールの施行方法を相手に納得してもらえば、問題が起きないわけです。とにかくルールをつくりちゃんと仕事ができない人は辞めてもらいました。一番迷ったのはバーテンのリサだった、男性客に人気があり良くやっているように見えたが売り揚げを懐にいれたとレジの黒人のサマンサが私に言い、確認すると認め、私は許してやろうと思っていましたが、周りは厳しく、リサは白人なこともあり黒人が多い当店でしたのでみんなの手前クビにしたことでした。

29歳、30歳のこの頃は数秘にしろ西洋占星術のサターンリターンの時期でしたので運命が大きく変わる年であったと思う。そんな占い的なことを知らなかったわたしですが新しい道を探し出します。

帰国すると同僚たちが代々木で同じ内容の海外不動産会社を立ち上げて活路をみいだしていました。私のポストもあると誘われていたがあまり乗る気ににはなれませんでした。職が無い私はすぐにでも飛びつきたい気持ちもありましたが、30歳になるのでまた直ぐにやめてしまったのではつまらないと考えました。

アッと言う間の12年で転職を繰り返して慎重にもなっていたのでしょう。そんな時はやはり愛読書「就職情報」を頼りにしました。       「年齢不問、四人の会社で世界を舞台に」のコピーが目に留まったのです。

その会社はインポートの会社でした。「世界を舞台に」というキャッチコピーが魅力的に思えたのです。早速、下調べもせず、応募し、面接を受けました。千駄ヶ谷と原宿の間にあるマンションの一室の小さい事務所に行きました。入るとちょっとやばい雰囲気が漂っていました。

自分より年下と思える専務取締役が面接をしました。簡単な聞き取りが終わり、次は社長の二次面接と言われました。次の週にもう一度その事務所を訪問しました。やはりやばい!と思いました。

社長は見るからに危なそう人でした。あの泉谷しげるに似た風貌でパンチパーマでソファーにふんぞり返って大股を開いていました。どう考えても面接官の態度ではありません、やくざぽいと言うか、なんというのか、まともなビジネスマンとはとても見えませんでした。


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