開運力で転職を成功に導けるのか!#49
この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。
第四章 起業するって大変
エンジェルが現る!
辞めるとして、決まっていたのは起業するならインポートショップをしたいという気持ちだけだった。ヨーロッパ商事でこの代官山店をオープンするときの設備投資の金額を知っていたので一般的に言って私の手持ち資金は200万円そこそこでしたので誰が考えても無理な状態でした。
しかし、8か月後には店を2店舗オープンとなります。それには理由があったのです。それが運と言うものか、次から次と私に都合が良いエンジェルに出会うのです。運を見方にしている感じで開運の見本であったような気がします。
盛岡店を閉鎖し撤退したあたりからヨーロッパ商事は傾き始めましたがすでに始める時からその兆候はあったらしいが私は気が付きませんでした。
その兆候とは、社長が大した金額ではなかったと思いますが50万円程どうにかならないかと金の無心を1度その頃にあったのを思いだしました。 資金繰りがずれてしまったという理由からでした。そしてその頃、副社長にならないかなんて声を掛けられたことがありましたがそれは断りました。
そして、その2,3か月前に会社が銀行の融資を受ける時に保証人の一人になってほしい依頼を受け保証人になるのは嫌だったのですがヨーロッパ商事にいる間限定でいいというので捺印を押しててしまったのです。
社長は人が良すぎる?ところもあり私もお世話になったので中々断ることは出来なかった。年明けに社長の現状を聞いた私はもう存続は出来ないと思ったと同時に独立しなければヨーロッパ商事と道連れだと感じだしました。
社長にこれからの店舗についての提案を翌日にしました。秋の買付で春までの商品を輸入していましたのでその分を売り切って閉店した方が良いと進言したのです。
一度はその話を呑んだ社長ですがひと月もたつとまた存続しようと言ってくるしまつでしたが、もう私にはそんな気力もなく、もとは私がレールを敷いた店です、自分の気持ちが立たなけば話はなりません。
しかしこうなったのは社長が仕事をしなかったせいでもありました。11時くらいに出社して、すぐ社員を連れだしランチに行って、帰ってくると経理の愛人と昼寝をするのが日常で、その後に仕入れ商品の売り消しを行い6時になると愛人と一緒に麻雀をすると言うぐうたらな生活を送っていました。
私は10坪足らずの店でこの1年半は毎月1000万円位の売上げをしていましたが商品が不足して最近は500万~300万がやっとでした。 ルイヴィトンの売上は毎月同じくらいの売上はあったものの粗利が全く違いがありました。
ルイヴィトンは粗利3%しかありませんでしたので30万、かたや、店舗は経費はかかるもの粗利は40%ありました。その違いを間に受けた社長は、なにかバカバカしくなったのかわかりませんが仕事をしなくなったのは、それも原因かもしれません。
そして私は社長に店舗の閉店と辞めることについて春物を売り切った6月か7月いっぱいを提案しました。そして札幌店も当然そうなることを伝えます。店舗の売上があったのですがその売り上げがヨーロッパ商事の支払いに消えて行ったので仕入れは殆ど出来ない状態だったのです。
それでは店舗の存続の減ったくれもありません、こんな時にこそ会社の未来を良くするために社長が先頭に立って見せてくれていたら私の考えもまた違っていたかもしれません。
実は私も安易に考えてことがありました。いつものようなに簡単に出来るなんて思っていたわけです。実は年末に催事契約で銀座4丁目近くのビルに入れる話を聞かされるのです。いい話なんです、それも銀座に店舗が作れるという話です。催事契約とは保証金なしで店舗が出来るのです。
私はその相手を言うことを間に受けて銀座で店舗がやれたらいいなんて思っていまたのです。しかし、そんな話は4月には全くなくなくなるのです。 すでに3月には辞めると宣言した矢先でした。
要するに、友達でもないし知人の紹介だけで動いてくれることは少ない。まして口約束であったり、相手にメリットがなけば私の為にひと肌脱ぐなんてしないものなんです、そんな甘い私は窮地に立つことになるのです。
しかも国民金融公庫に行って融資を頼むも若い担当に企画書をだしたらけちょんけちょんに言われ「絶対お前の所から借りやるか!」と久々に腹がったこともあり、お先まっくらだな~なんて思っていました。
突如として暗闇から光が見え始めます。その先にエンジェルがみえたのです。今思うと一年前に実母の墓を作ったお蔭だと私は思っているのですが、その頃は窮地に立つと良い話も舞い込んでくるのです。
常連客の一人に店を閉めることになったと話す機会がありました。お店を出したいのですが資金が無いことを話すと貸してあげるというのです。以前にも同じような話をしてひっくり返ったことを思い出した。
「いくら貸していただけますか?」
「いくら必要なの?」
「1000万円位は?」
「1000万は貸せないわよ、500万なら大丈夫だけど」
「それで十分です」こんな簡単なやり取りで貸してくれることになったのです。また貸す条件も言われました法人になったら経営者保険に入る約束でした。逆にこちらかも約束をしました。年に20%つまり10万円の利息を付ける話をしました。好条件です。私は何のためらいもなかったし出来る自信がその時はあったのでしょう。
今度は前回の失敗が無いように文書にして残しました。そのような話をもう一人の常連客に話しました。この方はにはもっと簡単でした。理由は昨年からそのお客様にコンサルをしていました。
すでに自宅で小さいインポートブティックを初めていて懇意にしていました。私が辞められると当然当店から仕入れをしていたので困るわけです。 200万円、同じ先程と同じ条件でサインしてくれました。すると利息が良いので話を聞いていた私のスタッフも100万出資したいと言い出したのです。つまり都合、私の手持ちが200万ですから1000万円になったわけです。しかし1000万で店舗を持つことが出来る訳がありませんがそこから第二のエンジェルが現れるのです。