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【百合掌編】真壁の朝

 百合カップルが山の見える町を散歩する話。



「静かだね」
 午前9時、朝の冷たい空気に包まれた町を歩く。隣には私の彼女。さっきから町並みを興味深そうに見回している横顔に、なんとなく話しかけてみた。
「正月だからな」
 簡潔な答えが返ってくる。通り過ぎたお店はみな閉まっていて、静謐な雰囲気が立ちこめていた。先ほどから通りを歩いているけれど数人としかすれ違っていない。そうか、正月だからか。そりゃそうだ。
 古くからの町並みを残している、筑波山に臨む町。古民家や土蔵、さらにはレトロな旧郵便局が並ぶ通りに二人分の足音が静かに響く。
「こういうところに住んでみたい?」
「昔の家だからな、手入れとかが大変そうだ」
 もっともな感想だ。こういうところに住んでいる人はスゴいと、民家の前に立つ登録有形文化財のプレートを見ながら思う。
「だけど」目を町並みに向けたまま、彼女が言う。「あんたがいるなら、どこでもいいよ」

 彼女なりの、わかりにくい愛の言葉が放たれる。そのままそっぽを向いて歩く彼女の耳がほのかに赤い。絶対いま、自分で言っていて恥ずかしい状態になっている。
 だから追い打ちを掛けようと手を握った。恋人繋ぎで、ぎゅっと、強めに。けれどその手は思いのほか暖かく、冷え性の私に彼女の体温が染みわたってきて思わず胸の奥が鳴る。大きめで節ばった手指の感触がこそばゆく、けれども心地いい。ぬくもりと一緒に私への『好き』が、手のひらから伝わってくるみたいで。
「・・・寒いから、ね」今度は、私が照れ隠しをする番だった。
「正月だからな」
 簡潔な答えと共に握り返される。その声はすっかり落ち着いていて、むしろこちらの頬が熱くなってきてしまった。付き合ってもう何年にもなるのに、未だに付き合いたてみたいな反応をしてしまう。そんなおめでたい私もぜんぶ正月のせいにしてしまおうか。
 古き良き町並みの散歩道。ゴールはまだ遠く、そびえる山が私たちを見守っているような気がした。

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