オランダの歴史【Part2: 古代】ローマ帝国の支配
Hoi! (ホーイ!)みなさんこんにちは!
以前のオランダの歴史1【紀元前編】はお読みいただけたでしょうか?
この記事では、学校ではなかなか注目しない、現オランダ地域に焦点をあてた古代ヨーロッパの歴史についてお話ししています。今回はこの続きの歴史ですのでまだの方はこちらもお読みください!
さて今回は、ネーデルラント(低い土地)と呼ばれ、辺境の地とされていた現在のオランダ地域に外部勢力が続々と押し寄せる古代の歴史編です。
*前回同様、この記事はあくまでも当ブログ筆者が、複数の文献(日本語、英語、オランダ語)の情報を参考に編集したもので、それぞれの情報に関して諸説ありますことをご了承ください。
BC(紀元前)58年
このころ、ヨーロッパの東の方ではローマ帝国※1が着々と力をつけていました。そして、前58年、ローマ共和制末期の軍人ユリウス・カエサルを筆頭に現フランスやネーデルラントにも侵攻してきました。
ガリア人の帝国は制され、ネーデルラント北部のフリースラント地方(下の地図の緑のFRIESLAND部分)を除いてローマの支配下となりました。また、現在のナイメーヘン(下の地図の青地域内Njinmegen)には、ローマ帝国の主要な道路網と駐屯地ができて軍事拠点になったのに加え、その後重要になる交通網の一部にもなったのです。
47年ローマ帝国の一部となったネーデルラント地域
ローマ帝国北辺境を守る砦として、ライン川河畔に要塞トライェクトゥム(Trajectum)が建設されました。これが①の地図で黄色で塗られている現在のユトレヒト(Utrecht)の原形となりました。
270年
2世紀半ば以降、ゲルマン人がユトレヒトからローマ帝国の領土たびたび侵入するようになりました。そのころネーデルラント地域ではローマ衰退をはじめていて、270年ころゲルマン民族※2が侵攻してきた際、砦を放棄して撤退していきました。
4世紀
4世紀半ばよりフン人※3の圧力に押され、ゲルマン人の大移動が始まります。多くのゲルマン人がネーデルラントを通過し、西ヨーロッパ諸地域に移住しました。
5世紀
476年 西ローマ帝国の崩壊
ローマ帝国が395年に東西に分裂※1した際、ネーデルラント地域は西ローマ帝国の一部となりました。
476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより、西ローマ皇帝位が廃され、西ローマ帝国が崩壊しました。これにより、当時配置されていた総督もネーデルラントから撤退しました。
これにより防衛力を失った各町には北と東からゲルマン民であるサクソン人(Saxons)、フリース人(Frisians)、フランク人(Franks)が大挙して押し寄せてきたのです。
そして、そのゲルマン民族の一人であるクロ―ヴィスが、、
っと、今回はここまで!
この先の中世のオランダの歴史は今後の記事でお話ししていきます。湿地であり僻地とされてきたネーデルラント地域もついに外部勢力に奪い合いにされる時代に突入しました。今後もこの地域をめぐっては様々な抗争が行われるのです、、。
続きが気になる方は、是非フォロー、スキ等で教えてくださいね。
それではまた次回、Tot Ziens!
7th Throwでは、オランダでのビジネスや生活をもっと豊かにする情報サイトtsunagaruを運営しております。オランダ在住の方、オランダに訪れる予定の方、以下のリンクから是非ご利用ください!
その他参考文献
https://europa-japan.com/cate_history/netherlands.html
https://greet.happily.nagoya/easy_history_the_netherlands/
https://www.edrawmind.com/article/history-of-netherlands.html
https://history-maps.com/nl/story/History-of-the-Netherlands