お酒はほどほどに。
私の父はアル中からの糖尿病になりました。
不規則な職務時間で、「眠れない」を解消すべくために酒をしこたま飲んでほぼ気絶する状態で保っていたのだと私は勝手に思っています。それを40年以上続けて、無事退職した後も無趣味は父はなにかに没頭することなく、夜になれば大きなペットボトルのお酒を買って(匂いはただのエタノール!)それをがばがば飲んで気絶していました。
目に余る飲みっぷりだったので、私の診察にも関わらず私の精神科の問診の時間に父の話をして「それなら区役所に相談してみたら」と助言を頂いて、すぐに区役所に行きました。
区役所も父に病院行きなさいなんて言えるはずもなく、早めに受診してもらったほうがいいよね、と当たり障りのない回答を頂いて私は一人呆然としていました。
頼るものがないってこんなに心の余裕が消え去るものなのか、と。
困ったことがあったとき、私が頼る先はどこなんだろう。
こうして、今も途方に暮れている人がたくさんいるんだろうなぁ。
いよいよ父が昼間もカルピスばかり飲んで起き上がることもなく、寝転がってテレビをぼうっと見ているのに困り果てて私は車イスを貸し出してくれて、尚且つ病院まで送ってもらえるタクシー会社に予約をして、あと二日待てばようやく父を病院で診てもらえる運びとなりました。
母はただ「そうなんだ、ありがとう」だけ。
誰かがやってくれる、という気持ちがずっとあるみたいで……。
そんな日の夜、浴槽から立ち上がれない父が母にヘルプを出しました。
普段は2、3日お風呂入らない人が入るってことは、一応よそ様に診てもらう自覚はあるんだぁ。とぼんやり思っていたら母が私にヘルプを出しました。
浴槽に浸かり、自力で立てない成人男性を持ち上げる術など、素人の私たちが知るわけもなくがむしゃらに力任せに引っ張り上げて、腕も足もぷるぷる。
そこから立てなくなった父を見て、もうダメだ、扱いきれない、と私は電話するよ、と言いました。
犬のこともあるので、妹には家にいてもらい、母と私が付き添い近くの総合病院に運ばれました。血糖値が異常に高い。いつあの世行ってもおかしくないらしく延命治療の希望確認をされました。なんとなく「人が死ぬってこういう呆気ないものなんだ」と他人事に思い延命は断りました。
酒臭い、中年(老年?)の体臭から解放されると思うと、ちょっとほっとしている自分もいて、あら、私は結構冷たい人間なんだ。と思ったり。酒を飲み暴れ、物を壊したり、人を殴ったりというタイプの人間ではないので、目に見えての被害は全くないのですが精神的に参ってました。買い物に行くたびに数リットルのボトルで酒を買う父の姿は、見たいはずないです。
父はその後、約一か月入院し、アル中や糖尿病の授業を受け(全く役立ってないように見受けられますが)自宅に帰って来ました。
これが4年くらい前の話。
今は無趣味のせいで弱くなった足腰で人の肩をつかみようやく歩ける感じです。人がどれだけ心配してリハビリやデイサービスをすすめても頑なに受け入れず、食べても食べても、日々痩せていく感じです。
好きなように生きて、好きなように死んでもらえればいいや、と投げやりに思い一緒に暮らしています。
思ったのが、区役所の相談窓口はあまり役に立たない。
本人がぶっ倒れるまで待つしかない。
父のおかげか妹の深酒度合いが減りました。私も宅飲みはしてもチューハイ一本で満足するようにしています。反面教師。
書きたいことはまだあるけれど、ここは忘れないためのメモ程度に使っているので、この辺で。