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守神様を取り戻した高山家

これまでの数年において、封印された守神様をお導きのままにお救いし、神の力を取り戻される様を拝見させていただきました。皆さんは、守神様とは、どこにおられ、どんなお姿と思われますか。。。

人間には代々受け継ぐ家系があり、それぞれの家系を守るためにこの世へ降ろされ、共にいる神のことをいいます。観音様が全ての人間に平等に与えてくださった身近で大切な神と言えます。
ところが、自分に行き着くまでの長い長い代々の歴史の中で、我ら浅はかな人間の魂は、「欲」という魔に染まり出し、自分自身の前世もしくは先祖の誰かが、我が欲のために自分の神をも殺すほどの悪行をしでかすのです。以降、守神は神としての力を封印され、低俗な「魔」に成り下り、その苦しみ、悲しみ、怨みを晴らすため、その家系の血筋が絶えるよう「子々孫々に至るまで怨み倒す」と叫ぶのです。「欲の魔」に侵されない人間はおらず、その中でも最大の欲の魔は「金」。だからこそ、殆どの守神様は封印されてこの世はすでに神のいない世界になっているのに、人間はいつまでも気が付かず、この世の終わり、今や、地球という星の崩壊へと走り出したのです。この浅はかな欲深き人間のために、いよいよ観音様は、新しき世へと移行するため、神起こしをお始めになりました。このお役のために神に選ばれし魂を呼び起しご使命への気付きをお与えになりました。それが、我らの始まりです。お導きで我らにたどり着いた神々をお救いし、もし救うことがなければ決して終わることのなかった不幸から、救いの道へと転換することができたのです。
新しき世は、封印された神々をその怒りや怨み、呪いから解き放ち、神の力を取り戻させ、この世が生まれた時に戻ることなのです。人間は欲を捨て神々と共存していることを信じ、尊び、感謝し、守られている愛を心から喜び、受け入れるからこそ、得られる平和な世なのです

守神様の姿はいくつかに分かれますが、封印されている姿で最も多いのが蛇神様。次に多いのはお狐様。そのほかは狼、猫、樹木という時もあります。蛇神様と一口に言えど、どれ一つとしておなじ姿はなく、その姿は様々、出会うときは、それはひどいお姿です。此度お救いしたのは高山家の守神様、蛇神様。お導きで我らにたどり着き、交信をさせていただくことになりました。気が付けば親戚一同みなバラバラで、どこもうまくいっておらず、このままいけばすべて縁も切れ、血も途絶えてしまわんばかりという状態でした。代々の家系の中で救う道となる魂が現れ、そのものの気付きがあれば、守神様は救われ、よってその家系も好転する」ということがほとんどです。此度この高山家も、幸運にも、守神様の存在を信じ、救いたいと願って真摯に向き合えた一人の子孫のおかげで、これよりは方向転換をし、今までとは正反対の方向へ動き出すことを許されました。

男性のご先祖が出てこられ、それまで高山家は年に一度、山の魔に人間のいけにえを捧げてきておりました。これを阻止するためにこの勇敢なご先祖は、自分がいけにえに化け、山の魔を山の上の小さな社で待ったのです。そして今にも食べられそうになった時、火の矢を放ち、魔の両眼を射抜き、魔は熱く燃える目を押さえ狂うように悶えあばれ、次に火の矢は山の木々を燃やし、魔の体はみるみる炎にのまれ、魔は焼けただれて苦しみ、とどめにご先祖様は魔の口から腹に落ちるや、腹の中で剣を振りかざして滅多切りにしたのです。ついに魔はバラバラになり、これで退治を果たしたと思ったのも束の間、あらぬことか、この山の魔の怨みやくるしみが高山家守神様蛇神様に乗り移ってしまったのです。その怒りと怨みはすさまじく「決して許すわけにはいかぬ。子々孫々に至るまで恨み倒す」と高山家守神様は低俗な魔の姿に変貌し、「熱いー、目が痛いー」と苦しみ続けることになってしまったのです。以降、高山家は血が絶える方へと進むこととなったのです。

そもそもなぜ子孫の一人が導かれこの守神様を助けることとなったのか。それは子孫である娘がコノハナサクヤビメに選ばれし魂であり、この娘の母親がこの交信の直前に、イワナガヒメに選ばれし魂となったことで、絆と力を取り戻されたこの二神は、二神の父である大いなる山の神オオヤマツミノカミに、「自分の選びし魂がいる高山家の守神、蛇神様の中に居座る山の魔を消し去り、呪われた蛇神様を救っていただきたい」と助けを請いました。父神である山の神により見事、神の力を取り戻すことができました。これよりは、守神様がよみがえった高山家に、以降、血が途絶えることはなくなり、良い方へと導かれ守られていくことが約束されました。ただし、それだけでは本当の幸が来るとはまだ言い切れません。最後の砦は、我ら人間側にあるのです。本当の幸せと繁栄がやってくるために最後に越えるべき、最も難しい砦。。。それは人間の思想。

つまり、高山家の者たちが皆、守神様の存在を信じ切り、守神様と共存していることに感謝し、敬い、喜びとすることができれば、その信じ切る心の大きさと比例して、守神様は神としての力を発揮することができるのです。「神を信じない世に神はいない」ということなのです。

さて、皆さんはいかがでしょうか。。。

#守神様 #新しい世の思想 #神との共存 #家系と神 #欲 #魔

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