本を「おすすめ」する難しさーー本棚記録サービスを作りたい(4)
書店や図書館が近くにない、という人は少なくない。私自身の育った地方の田舎町も、子どもの頃に2つあった新刊書店はいずれも閉店してしまった。地域によっては大きな図書館ができたり独立系書店ができたりしているけれど、全体として本に出会える場は減少傾向にある。個人の本棚を写真で記録して見せ合うサービスを作りたい理由のひとつがそれだ。『人の「本棚が見たい」のはなぜか?ーー本棚記録サービスを作りたい(1)』で書いたように、デジタルの本棚には現れない「本棚人格」を通した本との出会いが、人や本への好奇心を大いに刺激してくれる。
本を「おすすめ」する難しさーー私の失敗
私自身が本を、特に岩波文庫の青帯群を読み始めたのは、ある友人の存在があったからだった。十数年前にその人(Aさん)が「人工知能を開発して不老不死になる!」と言い出したとき、強い危機感を感じた(開発の才能のある人だったから、冗談半分の裏に本気を感じてしまった)。Aさんの発言に、亡くなったAさんの友人の事が想起されて、Aさんもその夢が破れたら死んでしまうのではないか、と恐ろしくなったのだ。おせっかいは承知の上で、本当に人工知能を作るなら自然の(人の)知性についてもっと考えた上でのほうがよいのではないかと、読むのにとても時間がかかりそうな哲学書の数々を薦めたのだが、「そんな必要などない」と返されて喧嘩になってしまい、それきりになった(このとき『人工知能のための哲学塾』シリーズがあったらどんなに助かっただろうと思う)。
偉そうなことを言って怒らせてしまった手前、それから必死になって自分で読んだのだが、全部読み終えた時には数年経っていて、謝るタイミングを完全に逃してしまった(連絡もとれないままだ)。若気の至りにしても恥ずかしい。その後も何度か失敗し、あまり人と本の話をしなくなった。私自身が特に不得手なだけかもしれないが、こういう経験のある人も少なからずいるのではないか。
人の本棚経由なら、自然に興味を惹かれる
人の、とくに友人知人の本棚は、不思議なほど自然に「見たい!」と思える。「おすすめ」のように一方的ではなく、おのずと興味を引き出して能動的な出会いを作ってくれる入り口になるのが「本棚人格」なのだ。
web本棚サービス「ブクログ」を開発した家入一真さんが、私の第一回目の記事を引用して、本当に作りたかったのは「本を介して、人生や感情をシェアするサービス」だったとおっしゃっている(ご紹介いただき、ありがとうございます!)。拝読して感じたのは、本や本棚を介して記憶や感情の記録が読めるような、ある意味で「一歩引いた」コミュニケーションのほうが、直接対話で「おすすめ」するより良い場合もある、ということだ。
本と出会うとき、直に人格を経由しないほうが良い場合とは、私自身が経験したように、配慮が足りず反発を買ってしまうなどの場合だ。自分で能動的に探すプロセスがあったほうが、出会いの感動が強まる、という側面もある(これは第3回本を「買う」とき、何が起きているのかで書いた、本棚に並んでいるのは「好奇心の発露の記憶」でもある、という話につながる)。人間は、自分の力で得たもののほうが大切に感じるようにできているものなのかもしれない。特に、自分の人生を左右するような重要な場面においては。
人格を通した本との出会いは面白いけれど、切実な場面で失敗する場合もある。そういう点でも私は、消極的に現れる「本棚人格」を介した出会いを増やしたいと考えている。
本棚を「自己表出」的表現として見る
古書マニアとしても著名な作家の鹿島茂さんが、雑誌「ユリイカ」の「出版の未来」特集の中で、思想家の吉本隆明の用語を借りて、言語表出における「指示表出」と「自己表出」という概念を挙げ、後者の表現だけが本として残る、と言っている。私はこの「自己表出」性が物理的な本棚にもあり、だからこそ人の「本棚が見たい」のではないかと考えている。重要な点なので長めに引用させていただきたい。
ここで対比されている「著者にしか出会えない」というのが、意識的なものだけが表れたデジタルの本棚にあたり、「人間に出会う」とされているのが、無意識的な部分まで表れた物理的な本棚にあたるのではないか。
完全に意識されたものではない、「言葉の配置、置き換え、文体など」から自ずと感じられる人格と、スペースやお金というしかたなく課される制約によって現れる「本棚人格」とは、消極的に表出される人格性という点でも共通している。
一つのリアルな本棚は、どんなバーチャルの本棚にも勝る
鹿島茂さんは現在、神保町で「共同書店」というユニークな事業をなさっている。そのコンセプトについて、神保町の歴史をめぐる本の中で次のように書かれている。
本好きなら、「一つのリアル書店はどんなバーチャルな書店にも勝る」という言葉は、実体験に照らして真実だと感じるだろう。さらに私はこの言葉を、「一つのリアルな本棚は、どんなバーチャルの本棚にも勝る」とも読みたい。本棚を写真で記録して見せ合うことで、オンラインというバーチャルの「空間」でも古書の流通を活性化したいのだ。リアルな本棚を、もっとバーチャルに持ち込みたいのである。
太字部分にあるように、書籍は本来「耐久消費財」である。だからこそ図書館の仕組みがあるのだし、古書として何度も流通させることが可能だ。第2回(古書の流通でも本の作り手に還元する仕組みは可能か?)で書いたように、仕組みさえあれば、本の作り手に利益の一部を還元することも可能になるはずだ。
共同書店の試みはすでに多くの本好きの支持を得ている。「目の前にリアルなモノとしてある」ことは強力だ。同時に、全国どこからでも購入可能な仕組みが作られているので、新たな本との出会い方としてこれからますます広がりがあるだろう。
こうした動きとは別に、著名な人や出版社などのセレクトした本棚だけでなく、有名無名にかかわらず、個人が自分の本棚を記録して見せ合うサービスがあってもよいのではないか。それが私が作りたいサービスである。
身近な人に気軽に相談することが難しいような、自分自身でうまく言葉にできないような事態に陥ったとき、本に助けてもらってきた。ふだんから本に接している人だけが、いざというときに本を必要とするわけではない。検索しようにもAIに尋ねようにも、どうやって聞いたらいいかわからない、突然そういう事態に陥ることは誰にでもある。(うまく伝えられているかどうか定かではないのだが)だからこそ、立派な人の本棚だけではない、どんな人の本棚も同じようにのぞいてみることができたら、と思っている。
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