あたりまえのこと
堀尾貞治さんというおじさんがいる。はじめてお会いしたのは、2005年の横浜トリエンナーレの会場だった。わたしはそこでボランティアをしていて、週に一度、会場に通っては、来場した方と作品を回るツアーを担当していた。会場は、埠頭の先にあるとてもおおきな倉庫。
堀尾さんの存在が気になりだしたのは、会期も折り返しに近づく頃だった。ツアーで巡る作品の選択は担当者に任されていたけれど、数ヶ月続くと、なんとなく来場者に人気のあるもの、評判のよいものに偏ってきていた。
堀尾さんの作品は…というより、ご本人がしょっちゅう会場のどこかにいらしたので、作品云々ではなく、別のなにかとしてわたしは見ていた。毎日、絵を描いたり、絵を増やしたり減らしたり、箱の中に入って絵の販売機になったり。なにをしてるひとなのかよくわからないまま、話しかけてよいのかもわからず、「そういうひともいるんだなぁ」、そんな感じで。帽子をかぶって、いつもにこにこしてて、気がよさそうで、なんだかそのへんにいそうな。関西弁で「そうやなぁ」なんて言ってる。芸術家って、スマートで、ちょっと気難しそうで、かっこよくしてるもんなんじゃないの。二十歳そこそこだったわたしは、そんな風貌の作家がいることに実はしずかに驚いていた。
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ある日、「◯時から堀尾さんのパフォーマンスをします」という放送があった。わたしはちょうど休憩の時間だったので、何の気なしに、見に行ってみようと思った。倉庫が立ち並ぶ中庭の段に座って、足をぶらぶらさせながらぼんやり待っていた。
中庭に何百個のスーパーボールが飛び散った。宝箱をひっくりかえすような勢いで。びよんびよんとあっちへこっちへ。飛び跳ねるリズムも、高さも、大きさも、色も、方向も、余韻も、スーパーボールのぜんぶがべつべつの場所で散ってゆく。
一瞬。それで終わってしまった。
でもなぜか突然のことに思えなかった。わたしは驚いていなかった。なんだかそのときがずうっと長いことそこにあったような、そんな気配がその前にもその後にも続いてたから。
それから、親子が地面に転がったスーパーボールを拾って、壁に向かって投げた。それを見た人が、べつのスーパーボールを地面に向かって投げた。
次々に、見ていた人が散らばったスーパーボールの中に入って行って、掴んでは遠くへ投げはじめる。すこしずつ、その場所が動き出して、人が動き出していた。そこにいた人たちがもう見ているだけではいられなくなって、歩き出したい人はそうして、何もしたくない人はただ見ていて、投げたいひとはそうしていた。わたしは、というとそれを見ながら涙をこぼしていた。終わってしまった(と思っていた)作品が、人のなかでもう一度生まれる景色が目の前にあった。
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そのあと、堀尾さんとお話できる機会があった。作品でも制作のことでもなく、日々のことを話してくれた。「仕事に行くのにね、毎日、土手を自転車で通ってるんだ」。あぁ、この人は毎日仕事に行って、毎日生活をして、毎日ずっと絵を描いてきたんだな。トリエンナーレというおおきな美術展で、作家とは特別なひと、芸術とはなんだか手の届かないもの。そんなふうに思い込んでいたわたしに、絵を描くことの日常のなんでもなさを教えてくれたはじめての人だった。そして傍らで話を聞きながら、そのずっと奥に、触れたことのない、なにかとてもつよいものをわたしは感じていたのだと思う。
そのあと、ご本人とも作品ともお会いすることはなかった。昨年、ふと、そのときいっしょに働いていた友人と堀尾さんの話になった。今もなぜかときどき思い出すし、忘れられないんだよね。もう15年も前のことなのに。ふたりして笑いながらそう語り合った。「あたりまえのこと」。それが堀尾さんがあのとき毎日つくっていた作品のタイトルだった。
堀尾さんは、今も活動されているのだろうか。気になって調べてみたら一昨年に亡くなっていた。その記事に載っていた写真の堀尾さんはやっぱり気のいい感じで笑っていた。あ、あのときのおじさん。「そうやろう」。やわらかな関西弁が聴こえてしまう。わたしの中の堀尾さんは、やっぱり今も自転車に乗って、にこにこと土手を走っている。
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