わいもまだシンデレラさ
大人の階段には2種類あると思っています。
1つ目の階段は「身体的なもの」。こちらは足を止めても逆らってみても勝手に進んでいく階段というかもうほぼほぼエスカレーターのようなもの。
2つ目の階段は「精神的なもの」。こちらは経験や努力を重ねて一段一段をコツコツのぼっていくもので、進むことも戻ることも腰かけてひと休みすることもできる階段になっています。
1つ目の階段は見た目や数値などで目に見えて分かるものですが、2つ目の階段は早々に分かるものではありません。
私が2つ目の階段を意識できるようになったのは30歳になる年、離婚を切り出した母とともに父のもとから去った年からです。
父の体調や機嫌を伺いながら暮らす日々から卒業し、向き合う対象が完全に自分自身となってから色んな気付きを得られました。
自分は思っている以上に自分をおざなりにしてきたこと、それゆえ他所様をおざなりに扱うタイプの人間が寄りつきやすくなっていたこと、自分はまだまだ人生を諦めなくて良かったこと。
そこからようやく精神的な大人の階段が見えてくるようになりました。
あまりの果てしなさにほんのり絶望を覚えましたが、一段のぼるごとに得られる気づきは私の視界を着実に拓いてくれました。
その喜びは朝起きたら枕元に食べごろのカントリーマアムやチョコパイが置いてあるほどの喜び。何それ超いい最高なんだけど。
のぼった先すべてが明るいものではないけれど、身体的な大人の階段に立ち返り「年相応の経験だったな」とふんわり納得することでボチボチ前を向き直せております。
身体的な大人の階段も悪くないなと思える瞬間です。
こんなことをツラツラ話してものすごく人生を悟っている感を出しておりますが、私は世間一般に比べてだいぶ遅れをとっているか脱線しすぎて異世界転生レベルの人生を歩んでいる新垣結衣(自称)なので、未熟も未熟です。
過去につけたりつけられたりした心の傷は全然痛んで未だに支障をきたしているし、心無い情報や言動を見聞きすれば不必要に思考が巡ってすぐ体調不良に臥すし、2日前なんてフィットボクシング中にブザーみてえなオナラを出して独りで笑い爆ぜていたし。
泣いてまう。ちいちゃい頃の私が見たら秒で泣いてまうほどの体たらくです。
でもな、ちいちゃい頃の私。
こんな体たらくでも身体的な大人の階段は「仕方ねえやな」と笑いながら、精神的な大人の階段は「とんでもねえな」と大笑いしながらのぼれているから安心してね。うん、全然泣き止まないね。ごめんね。
こんな感じで残りあとどれくらいあるか分からない人生、私は大人の階段をどのくらいまでのぼることができるのでしょうか。
少しでも健やかめに年を重ね、少しでも色彩豊かな感性を得て、やはり豪快に笑いながらあの世へ行けたらと思います。