その別れは突然に
中学2年の春、私は茨城県の北部から神奈川県は横浜市に引っ越してきました。
引っ越してきた当初は建物の高さや人や車通りの多さ、屋根もエスカレーターも自動改札機もある駅に驚いたものです。
そんな中でも私が一番驚いたのが、横浜市の公立中学には給食がないということでした。
マジでかと。もうソフト麺が食べられないのかと。
茨城の中学で涙ながらに「文通しようね」と住所をくれたクラスメイト達が1ターン目の手紙でもれなく「横浜の友達ができたら絶対紹介してね」というお願いをしてきたことなんか屁でもないくらいショックを受けました。
ああ、神様仏様。旧友達とのご縁はともかく、ソフト麺とのご縁をこんなかたちでお切りになるなんて。
横浜の中学はお昼持参のスタイルで、お弁当を持ってくる人もいれば、コンビニのサンドイッチを持ってくる子、缶に入ったパンを持ってくる子もいました。
私は母のお弁当をニコニコのんびり食べながら、ときどきソフト麺に思いを馳せておりました。
正方形の袋に詰められたやわやわのソフト麺、箸で四等分にしたそれをきつね汁に1つずつ入れてチュルッといただく。
人は何かを失えば何かを得ることができるけれど、その逆もまた起こりうるのだなあと思いました。
大好きなソフト麺を堪能する機会こそ失いましたが、私が横浜の地で得たものはそれ以上に多かったと思います。
窮屈な地域社会で得られることができなかった自由や寛大で多種多様なクラスメイト達、良き師。大好きな母の手作り卵焼き。
私には身に余るものばかりをもらいました。身にはすでに余るほどのお肉がついていましたが。
だから私は神様か年の離れた科学者の親友(いない)が過去に戻れる機会をくれても、ソフト麺が突然食べられなくなる横浜行きを選ぶと思います。秒で。光速で。
ソフト麺を捧げて横浜の中学で得たものを胸に、私は明日からもボチボチ生きていこうと思います。
とはいえ、やっぱりソフト麵への想いがふんわり断ち切れない私は未だにソフト麵を恋しがることがあります。
ソフト麺は私の中では捧げものだからもう口にしてはいけない気がするのだけど、どこかでいただけるところはないものでしょうか。袋に入ったソフト麺。きつね汁で。