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どうしようもない恋の唄
彼女はピアノを弾いている。
僕はいつも、ステージの上にいる彼女を見ている。
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たしか小学5年生になった頃、彼女と同じクラスになれた。斜め前が彼女の席になった。
こんなに近くから彼女を見たのは初めてかもしれない。
サラサラの髪、細い首、長い指。
いつもはステージの下から見ていたけど、近くで見るともっともっと大人っぽかった。
嫌いだった音楽会も彼女がピアノを弾いてくれるから、少し楽しみになった。
ただ、一度も話しかけることができないまま、席替えとなり、学年も上がってまた遠い存在となった。
町に一つしかない中学校には一緒に上がった。
でも僕は、相変わらずステージの下の観客の一人にすぎない。
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中学に上がりしばらくたった頃。
少しでも彼女のことを知りたくて、休みの日に自転車を走らせてみることにした。
僕の家から見て彼女の家は中学校の向こう側になる。
ずっと同じ町に住んでいるから、家の場所は何となく分かっている。信号の手前、登り坂を斜め右側に入り、5、6件の新しい家が並んだ団地の一番突き当たりのはずだ。
やっぱりそうだ。
近づいてみると曲名は知らないピアノの音が聴こえた。
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その日もまた自転車を走らせた。
見に行っていることがバレるとやっぱり恥ずかしいから、彼女に見られたら、さりげなく通ったふり、バッタリあってしまったら、道を間違えたふりをする。そう決めていた。
でもその日、僕はどちらのふりもできず、ただ顔を伏せて全力で自転車を漕ぐことしかできなかった。
それでも横目でちらっとは見た。
自転車の後ろに横座りをし、先輩の腰に手を回していたのは彼女だ。
一瞬だったが、いつもより更に大人っほく見えた。
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先輩と付き合っている、という噂はそのうち僕の耳にも入ってきたし、あの2人はもうヤッたらしい、そんなことを言うヤツもいた。
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「あ、なおくん」
町の繁華街に一件だけある中華料理店に家族揃って食事に来た日。
彼女は僕の顔を見るなり、なぜか下の名前で話しかけてきた。
僕は本当は死ぬほど嬉しかったけど、親の手前もありぶっきらぼうに答えた。
「あぁこんばんは」
彼女はわざわざ僕たちが座っていたテーブルに近づいてきてこう話しかけてきた。
「今日ね、ピアノのコンクールがあったの。それでね、優勝したのよ」
彼女は嬉しそうに言った。
「すごいね、おめでとう」
本当は下の名前で呼ばれたこと、そして彼女から僕に近づいてきたことで、のぼせ上がっていたはずだが、意外と自然に言葉が出た。
彼女は、じゃあまたね、と言って、僕の両親にペコリと頭を下げ、自分の家族のところに戻っていった。
そのあとの家族との会話も食事も思い出せない。
ずっと彼女のこと・・・やっぱりあいつとヤッたのかな・・・そればかり考えていた。いや、それしか考えることができないくらい間近で見た笑顔の彼女は可愛かった。
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ただ、その日をきっかけに僕は彼女と話ができるようになった。
廊下で顔を見かけたら、どちらともなく話しかける。
昨日みたテレビの話、次のテストの話、受験する高校の話、飼っている犬の話。
彼女は何故か僕だけに、特別な幼馴染のように話しかけてきた。
ある日、彼女がふと言った。
「あーあ、私なおくんと付き合ってればよかった」
・・・少し嬉しかったが、先輩とは別れられない、そういう風にも聞こえた。
「だって、なおくんとなら何でも話せるんだもん」
彼女がそう言うたびに、悲しいとは違う、苦しいとも違う、口では言い表せない胸の奥がぎゅっと締め付けられる気持ちになった。
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そして今日も、ステージの上の彼女のピアノを、僕は観客の一人として聴いている。
破裂しそうな想いは、今日も胸の奥にしまい込んだままだ。