高3の3者面談で受けた印象|大学教員視点
先日、子供の3者面談に参加してきた。親としては、学校生活や子供と先生が語る将来のことを聞きたかったが、徹頭徹尾、受験勉強の状況に対する内容であった。もちろん、子供の将来の大きな部分に大学進学があるかもしれないが、少し違和感があった。違和感がなぜ生じたかを少しまとめてみた。本記事を読まれた方のご意見をぜひ伺いたいです。
高校生活の集大成は大学受験?
子供の行っている高校だけかもしれないが、とても受験オリエンテッドな教育で少し驚いている。生徒達の受験勉強への意識向上のため高校の先生が言っていると思うが、「東大卒業したら年収何千万だ、生涯賃金に直すと。。。」という言説には疑問を禁じ得ない。特に、これから世界で戦わないといけない世代に対して、日本国内のみを意識した画一的な言説に困惑した。高校生の大学に向かう勉強への動機が金銭的な報酬のためでは、入学後に勉強の意欲を失っている学生が散見される遠因ではなかろうか。これをまに受けて、苦しい受験勉強をくぐり抜けた生徒達は、大学の卒業要件以上に勉強したいと思えるのか疑問を持った。このような生徒を送り込まれた大学も大変である。対応として、単位認定を厳しくすれば良いのだろうが、本来の自分の興味のある学問を自身で掘り下げる大学教育と乖離する。
自分の人生の岐路を判断する機会を奪っていないだろうか?
完全に私見ではあるが、勉学に興味がない高校生は大学に行く必要はないし、社会人になり、勉学に興味が出た時に大学に来て欲しい。
高校で就職、進学やどちらも選ばないことは人生にとって大きな判断の一つであろう。高校生にとって、これまでのことを棚卸しし、これからのことを想像し、自分の人生を真剣に考え、進路を定めるというプロセスが重要ではなかろうか。これらの経験は、今後の人生の重要な判断の練習の機会になり、自身で判断し、その結果を受け止める自立した人生につながると考える。それを、大学進学が所与で、自身の学力に合う大学を選ぶという行為では判断の学びの機会にはなり得ないと考える。その機会を子供から奪わず、彼らの力を信じ、口出ししたいことも我慢して、任せ、支援することが必要と考えた。
定点の学歴より稼ぎ続ける力が重要
先日、研究室に来た学生がバイトやインターンシップで忙しく、理系の研究が手がつかないようであった。修士課程の担当教員は、各学生が将来重要になる考える力と表現する力をつけるように指導していると考える。その重要性を学生が認識できず、他用で時間が奪われ、大学で力をつける機会が失われていることは残念に思う。これは大学進学時に判断する経験がなく、各種活動と大学での学業を長期的視点で考えた上での選択ができていないと考える。このままでは、没頭できる自身が興味を持つことを発見しても、考える力を発揮し、表現することで、何度でも分野を変えて活躍する土台を構築できないであろう。もし、それらがあれば、有能感を維持し、長く働くことができ、投資や蓄財を凌ぐ経済的な安定性を確保できるにも関わらずである。
大学は、考える力と表現する力を涵養すべきであり、教員各位もその意識で学生の教育に日々、心を砕いていると思う。そう考えると、進路を真剣に考え、勉強への興味から大学を選択した学生と大学入学がゴールの学生では教育効果に大きな差があることを知っておく必要があると考える。
結論はないが、「やりたい事がある」という高校生の動機の先に大学入試*があり、入学後はそのやる気に火をつけるような教育を大学教員ができれば、もう少し高校から大学への教育の接続ができるのではと考えた。勉強(特に大学の専門課程)はやりたいと思った時が最も効果的である。そのため、高校卒業後、働いて大学で勉強をするというスタイルも一般的になってほしい。
*大学入試そのものの是非は別の機会に考えをまとめたい。