浪人までする必要がない大学受験が普通な社会
可能性が無限の18歳の方達は、いわゆる志望大学にどうしても行きたいのであろうか?もちろん特別な職業に就きたい場合は必要かもしれないが、そうでない方たちはどうであろうか?私は、もう1年受験勉強するエネルギーを大学に行く目的である「やりたい学問」を大学で始めるほうが人生にプラスと考える。そこで、特別な必要性を除いた場合、志望校の設定から志望校以外に行くことについて少し考えてみた。ご自身や高校生を持つ親御さんの考えるきっかけになればと思う。
(前提として、大学の受験勉強はやりたくないものだとの立場にたっている。模試の偏差値上昇や仲間との競争が好きという方は、本ポストの対象読者ではありません。)
志望大学の設定
志望大学の設定はどうなされるのか?私の息子の事例(+複数の周辺情報)では、理系文系の選択を除くと基本的には、当人の学力から、できるだけ高い偏差値の大学を薦められる。もちろん、高校の先生は良かれと思って薦めている。しかし、先生自身がそんなに沢山の大学の内情まで知ってるはずがない。よって、各生徒の本当にやりたいことにあわせて進路指導ができる先生は少ないであろう。よって、高校の進路指導の中心は、多様な大学と生徒の志望のマッチングより、どのように学力向上をはかり、高い偏差値の大学に入れるかという視点となる。(蛇足となるが、以前のポストにも書いた、最近、特徴のある大学も増えてきているので、低偏差値の割に学力がつく大学も増えてきている。)
以上をまとめると、高校の進路指導は本人の志向と関係ないことが多い。その場合、高校から進められる大学を志望校にし、浪人という選択をして、貴重な一年間を費やして受験勉強をする意味があるかという疑問がある。
では、なぜ、高偏差値大学が薦められるのか?
大学の歩き方
おそらく、大企業への就職のしやすさを大学進学の理由ではなかろうか。その場合、高偏差値大学が有利なのはあるであろう。特に、学部で普通の大学生活(タグ付けされない)を送る場合、そのような大学の所属であることはプラスにはたらくであろう。これは、大量の企業への志望学生を個別にセレクションすることは労力的に不可能であり、出身大学は一つの指標となりえる。それでは、大学入学後に志望大学へ行ける道があれば、出身校を越える企業の目にとまる方法があれば、大学受験において志望大学にこだわる必要がなくなる。
まず、入学後に大学を変える方法は複数ある。私の知る限り、3年次編入、大学院の修士課程および博士課程の入学が考えられる。特に、大学院が強化(?)されて久しく、その定員を満たすため、他大学から学生を受け入れる場合が多く、多くの機会がある。これらの手法で大学を変更すれば志望大学卒業となる。また、転入や院試は大学での成績や大学での学習内容が試験されるため、大学受験勉強より、やりたい勉強に近いことが問われるため、より意味があると言えるではなかろうか。
次に、大学の所属ではない企業が選考したくなるものを備えるのはどうであろう。現在、社会は優秀な若手を渇望しており、それらを応援する機会が沢山ある。例えば、ハッカソンのようなイベント、未踏のようなITC技術者の発掘などはどうであろう。また、違う方向性で大学で起業してみてはどうであろうか。これらの強力な「タグ」があれば、所属大学はもはや関係なくなる。
上記2点は容易ではないが、1年間やりたくもない受験勉強に向けるより、はるかに有意義と考える。
18歳の時間を大切に
長文になってしまったが、要するにとても貴重な時間を、社会のふわっとした要請に費やさなくても良いのではという問題提起である。受験はこれまでの学習を振り返り•強化し、自分の志望と実力のマッチングを自発的に考えるという観点では意味があるかもしれない。しかし、もう一回は要らないのでは?、ということである。
日本の貴重な若者が、少しでも負担が少なく、やりたいことを早く始められるための選択を考える一助になればうれしい。