いまさらながら、プロフィール
ファイナンスの負債シリーズがひと段落したので、少しプロフィールを紹介いたします。
バックグラウンド
好きだったコンピューターが学べる高専の情報工学科に入学した。今思うと、とてもラッキーな選択となった。当時、高校がまだ週休二日制でない時に週休二日制のため休みが多く、出席確認も少なかったため、自由な時間を過ごせた。情報工学科の講義を受ける中、自分が情報工学科が好きではないことに気づい時にはかなりの焦燥感があった。そんな時、4年生(高専は5年制)の時に太陽光発電に出会った。自分がやりたいことはこれだ!となり、研究には修士が必要といわれ、大学は太陽光発電の研究ができる電気工学科に進学、就職は当時の太陽光発電のトップメーカーを選んだ。結局、25年間太陽光発電に関わることとなった。
(最近、母校(高専)のWebページを見ると休むために連絡が必要となっていた。日本の傾向として、何か起きると管理強化という悪弊だろうか)
社会人開始/米国での切磋琢磨
入社後ナノテクノロジーを用いた太陽光発電の研究に従事させていただき、楽しい毎日を過ごしていたところ、米国の国立研究所への駐在の話が出てきた。米国の研究所では博士号がないと研究者として取り扱ってもらえないため、大急ぎで論文を投稿し、恩師と先輩の多大なるご協力を得て博士号を取得し、米国の国立研究所(Los Alamos National Laboratory)へ赴任した。
当該研究所でもナノテクノロジーの太陽光発電応用のプロジェクトに参加した。詳細は別の記事にしようと思うが、厳しい競争、研究成果への強い欲求と深い知的好奇心などなどを目の当たりにし、自分の実力や得意なことに気づくとても良い経験になった。(その頃の仲間とはたまに会うなど交流が続いている。)強烈なストレス下ではあったが、得難いきかをくれた会社に感謝しつつ、プロジェクトの成果で少し恩返しもできたのではと考えている。しかし、会社の業績が芳しくなく、当該プロジェクトの自社研究所への移管がキャンセル、失意の帰国の中、太陽光発電パネルの海外生産移管の話が飛び出し、日本の太陽光発電生産を標榜する会社へと転職した。今考えると、海外から帰ってきた人が陥る自国への愛情の高まりがあったのではとも考える。
太陽光発電メーカーを日本に残したかった。
太陽光発電は日本のような化石燃料がない国にとって、エネルギーセキュリティの観点でとても重要なものとの持論がある。現在、太陽光を電気に変換する太陽光発電システムは廉価な中国から買えばいいとの言説がある。しかし、輸入が続く保証はどこにあるのであろう。代替品があったり、趣向品であればそのような発想でもよいが、エネルギーなしに存立しない社会で、それらとが同じ発想でよいのであろうか?という点が、転職の動機である。研究の仕事を捨て、発電所プロジェクト、営業、企画と当該会社が生き残るために全力を尽くした。その中で財務の知識強化のためMBA取得も実施した。自身の力不足もあり、この会社が中国メーカーのモジュールを使用する結果となった。惨敗である。様々な原因はあるが、やはり商品の価格下落についていけなかったことが大きな原因の一つであったと考える。失意の中、現在お世話になっている学校の先生より、理系の学生への企業家教育を一緒にやらないかと誘っていただき、先生業を開始した。
理系の底力で日本を元気にしたい
思い返すと大学生のころにベンチャー企業の事業企画コンテストで入賞したことがあり、起業について高専の恩師に相談したところこっぴどく怒られ、やめた経験がある。私の担当している学生達が選択肢として起業も選べ、企業派遣の学生が企業に戻って新規事業が立ちあげれるように日々向き合っている。私はこれまで国立の高専、大学(学士、修士、博士とMBA)や国家プロジェクト参画など税金をたくさん使っていただいた。少しでも学生の育成、企業の支援(特に大学の地元やエネルギー関連企業)やエネルギーと事業家の研究を通じて少しでもお返したいと考えている。
もし、上記の知見がいきるような記事の要望がありましたらコメントください。少しでも、参考になったりすればうれしいです。今日はVirgin Galacticの打ち上げですね。