Neが欠落したISFPの創作活動
最近、noteで記事が書けない。書きたいなと思うことは山ほどあって、個人的な日記にはまあまあな量の文章をしたためているのだけれど、記事にまとめる途中でどうしても力尽きてしまう。
自分の思ったことや感じたことを周りに発信する行為自体に抵抗を感じる。昔はそれほどでもなかったはずなのだけど・・・他者に否定されることへの恐れが強くなったのか、承認欲求が衰退してきたのか。理由はよくわかっていない。
あと、自分が書きたいと思う内容があまりにも実生活に結びつき過ぎているのもある気がする。多分、他の方は適度にフェイクを入れたり抽象化したりして匿名化を図って、記事の題材へとうまく昇華していくのだろうなと思う。自分もそれが出来ないことはないのだけど、匿名化するべきところに自分の本当に言いたいことが詰まっていたりして。「それを伏せてしまったらそもそもこの記事書く意味無いやん」と葛藤した末に、途中で投げ出してしまうことが多い。
話は変わるのだけど、先日桜さんのMBTI診断サービスを利用させて頂いた。
桜さんとの数日間にわたるやり取りの結果、ISFPと診断してもらった。それまで自分はINFPだと思っていたので正直めちゃくちゃ驚いたのだけど、「あなたからNeは一切感じられません」という桜さんからのフィードバックを受けて、確かにそうだと納得できた。実生活での経験(Se)や着想(Fi)を抽象化すること(Ni)は割と得意なのだけど、その抽象化された題材を基にして魅力的な記事に仕上げる能力(Ne)が、自分には欠けている。そう思う。
自分がINFPだと誤解していた主原因は、心理機能Neについての解釈の誤解にあった。「他者感情の想像(Fi)」や「現実的な知覚から導き出される収束的な発想(Se-Ni)」をNeそのものと勘違いしていた。
桜さんからのこの質問。「B 店員としてやるべき事をやれ、とキレる」に対する自分の回答は、こう。
これに対する桜さんからフィードバックが、以下の通り。
これを聞いて、自分の中でようやくNeという心理機能のイメージが腑に落ちた。それと同時に、自分が会得することは今後おそらく一生無いだろうな、というビジョンも浮かんだ。それくらい、自分からは縁遠い心理機能だと思う。
Neが無いのなら無いなりに、自分なりの創作の形を模索していきたい。