『オツキミリサイタル』への愛を語る


以下、ボカロサークル「まちか音」でボカロ"一選"を募られた際、私がその選考理由の欄に記載した文章です。


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「信じ続ける未来の話」。

そう題されたこの楽曲を、私が初めて聴いたのは小学生のときだった。兄にこの楽曲の存在を教えられたとき、こっそりと親のパソコンを拝借し、心躍る気持ちでニコニコを開いたことを今でも鮮明に覚えている。そんな思い出のこの楽曲『オツキミリサイタル』を、私が一選に取り上げた理由は、主に3つある。



まず1つ目は、じん(自然の敵P)氏のその他の楽曲要素が、この曲の随所に取り入れられているところだ。

元々同氏の『如月アテンション』を聴き好んでいた私は、彼女の新曲が聴けると知ったその日、期待で胸がいっぱいになりながら再生ボタンを押した。そこで私の耳に飛び込んできたのは、とても繊細な音遣いにアレンジされた、あまりにも聞き慣れたフレーズだった。そう、この楽曲の冒頭には、『如月アテンション』のサビ部分が鉄琴のような音(あまり詳しくないが、恐らくそれに近しいもの)で鳴らされているのである。この楽曲のキーキャラクターである如月桃が初ライブで歌う、というファンサ精神に溢れた最高の演出は、彼女を最推しに据えていない私であっても昏倒するほどのものだった。これを聴いた当時の私は、よくやってくれた、という気持ちで胸がいっぱいだった。
また、1番サビではMVに登場する2人が『如月アテンション』をカラオケで歌っている場面の描写があったり、2番サビでは『カゲロウデイズ』の2番のサビと思しき演出(落下してきた鉄柱が女の子の体を貫いて突き刺さっているMV)が見て取れたりと、カゲロウプロジェクトのファンにとってはたまらない要素が多く盛り込まれている。一連の作品がシリーズ物になっているとはいえ、このようなちょっとした小ネタが盛り込まれているところがこの楽曲の大きな魅力だと思う。



2つ目は、わんにゃんぷー氏によるアニメーション映像である。私は楽曲を視聴する際に音楽と同じくらいMVを大切にするタイプで、中でもこの楽曲の可愛らしくも力強いMVが本当に何よりも大好きなのだ。

1番サビでは「支えてあげる」という2秒ほどの短い歌詞の中で、後ろのクラップに合わせて4枚+動き付きのワンカットのプリクラ画像が贅沢にも使われている。全体を通して言えることではあるが、特にここのシーンは「男の子(=ヒビヤ)がモモに連れ回され、嫌がりながらも楽しそうにしている」ことがよくよく伝わってきて、落ち込んでいた彼が少しずつ元気を取り戻していることが明確に描かれている本当に良い場面だと思う。

また、失ってしまった少女(=ヒヨリ)と色々なものを重ねてしまう演出が度々なされるのも良い。彼の悲痛な思いに思わず心を馳せてしまうこととなり、非常につらく胸痛む心持ちにさせられる。
それに加え、明るく可愛らしい絵柄からは想像もつかない、暗い顔や涙の描き方といったところもこの楽曲を語る上では外せない。2番サビまでで描かれるヒビヤの表情からは、心ここに在らずといった「放心」の色がよく窺える。明確な悲哀の感情というよりも、どこか一点を見つめてずっと何かに思いを巡らせているような、考え事をしているような顔がずっと映されている。その表情のまま静かに涙が滴り落ちていくサビ直前のシーンを始めて見たときは、本当に声が出なかった。彼の意思とは無関係に溢れ出ているであろう涙、それに厭わず残酷な回想に入る無情な構成、始めてヒビヤが感情的な表情を見せる「一緒にいたかったな」という言葉。その流れが余りにも痛く、彼がカゲロウデイズに巻き込まれたことの悲惨さが緻密に描かれている。ただ明るいだけの楽曲だったら、私はここまで好きになっていなかっただろう。

さてMVの好きなところを挙げ始めたら本当にキリがないのだが、その中でも私が最も好きだと強く断言できるのは、ラスサビ冒頭の如月桃である。
まんまるのお月様を背景に真っ赤な瞳が一瞬きらりと映り、こちらに手を伸ばすと共に(まるでプリキュアの変身シーンのように)アイドルのきらきらとした衣装に包まれる。満面の笑顔で両手を差し出してくれる彼女の姿に、何度勇気と希望を貰ったことか分からない。強気な上目遣いで見つめて笑うその表情を見てヒビヤが涙を零すシーンも、これまでの彼の苦労を考えると、パソコンを介して視聴している我々も震えずにはいられない。

そしてその後、曲の最後で「モモの手を記憶の中のヒヨリの手と見紛ったヒビヤが、無意識に彼女の手をとってしまう」という場面があるのだが、このちょっとした遊び心のある描写が堪らなく良い。彼女たちの関係性というのは非常に難解で、ただの友人なのか、恋愛感情を持っているのか、ヒヨリのことがなければここまで親密にもなっていなかったのではなかろうか、など、様々な解釈が飛び交っている。
しかしそのひとつの「正解」のようなものがこのシーンで得られるような気がして、私は心底満足した。あくまでヒヨリを好いているヒビヤのことを、モモが揶揄っているような、そんな関係性をわんにゃんぷー氏が描いてくれたのではないかと私は考える。解釈の問題を述べすぎると恐らく戦争になってしまうので、この話は深堀りせずここで打ち切っておく。



3つ目は、なんといっても歌詞である。この真っ直ぐで前向きな歌詞に、どれほど助けられたことか数知れない。

"だけど信じる、君だから。
 真っすぐ前を向いて?"

ヒビヤだけではなく此方側の我々のことをも「君」と呼んで励ましてくれているような、背中を押してくれているようなこの歌詞が、この曲の一番の聴きどころだと思っている。「だけど」と始めに付いているのも、その直前でヒビヤが零した弱音を否定するのではなく、そのまま受け入れた上でこの言葉をかけているようで温かみが感じられる。こんなにも、こんなにも元気を貰える歌詞が、他にあるだろうか。

後に続く"ホントにダメな時は、君の心を支えてあげる。"という言葉も、ただ頑張れと相手を突き放すだけでなく、寄り添ってあげる優しさのようなものが感じられてつくづく素敵だと思う。信じ続ける未来の話と題されているように、この曲では「信じる」ことが重要なテーマとなっているが、ただの応援ではないところが言葉に重みを持たせていて好きだ。いちアイドルとしての声掛けと言う意味ではなく、如月桃というひとりの人間がどこまでも信じている、という旨がありありと感じられるからだ。

2番で印象的な歌詞は、サビ前の"夕暮れ、ブルーになる"である。一番と同じく心情的な憂鬱を歌っているのかブルーモーメントのことを歌っているのかは定かではないが、少なくとも幼き頃の私には橙色を想起させる夕暮れの後に青色を置いている歌詞がとても印象深かった。ヒビヤの心が日差しとともに閉ざしていくこの歌詞は、MVと相俟って今見返しても心がちくちくと痛んでしまう。ポップで明るい曲調のはずなのに、随所に盛り込まれた暗い歌詞が胸を刺してくるところも、この曲の魅力のひとつである。

流石に長くなってきたためこの辺で最後にしたいところだが、ラスサビの"絶対ダメなんかじゃない!"というモモの台詞として綴られている歌詞は、個人的に何度も助けられた言葉である。何かの壁に当たって挫けてしまったときに、いつもこの言葉を思い出す。握り締めた両の拳を振りながら懸命に放たれるこの言葉を、私はこの人生で忘れたことがない。
この曲に織り込まれたすべての歌詞は、いつ聴いても色褪せることのない、わたしの生きる指標なのだ。



最後に。正直なところ、じん氏の曲に限らず、好きなボカロ曲というのは数多くある。特にここ数年で聴いた回数でいえば『オツキミリサイタル』はかなり少ない部類に振り分けられるだろうし、より分かりやすいボカロックや最近人口に膾炙しつつあるポエトリー楽曲の方が音楽として好きだと断言すらできる。それでも、わたしの人生を支えてくれた、音楽性だけでは評価を下せない「一選」として選ぶ楽曲は間違いなくこの曲だ。楽しいとき、幸せなとき、つらいとき、寂しいとき、人生に疲れてしまったとき、そのどの局面においてもこの楽曲に支えられてきた。そして、きっとこれからも聴き続けるのだろうと思う。私は何よりも、この曲が大好きでたまらないのだ。


以上が、私が『オツキミリサイタル』を一選として挙げた理由である。

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