『推し、燃ゆ』宇佐見りん
推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。
あまりにも簡潔で苦しい書き出しに心を掴まれ、この本を手に取ったのはちょうど1年前のこと。実際に推しが燃えたことをきっかけに、再び読んでみることにした。
まず、何よりも読みやすく綺麗な文章だった。どこまでもまっすぐに推しを推す主人公の心の描写が、自然に入り込んでくる。普通なら言語化できないような推しへの感情がなだれこんでくる感覚はちょっと不思議だった。
"その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまでいとおしくなってくる。そういうもんだと思う。"
"どんなときでも推しはかわいい。甘めな感じのフリルとかリボンとかピンク色とか、そういうものに対するかわいい、とは違う。顔立ちそのものに対するかわいいとも違う。どちらかといえば、からす、なぜ鳴くの、からすはやまに、かわいい七つの子があるからよ、の歌にあるような「かわいい」だと思う。"
これは本文中からの抜粋なのだけれども、私は一時期付箋をはりつけていたほど大好きな文で、ただただ語彙力が有り余るオタクを前にどきどきすることしかできなかった。そう! 語彙力の高いオタクだから、全然嫌な感じがしない。「解釈する」ことで推しを推す主人公は、頭が良くなくとも民度が高い。
でも、この小説はオタクとしての感情が爆発するようなコミカルな描写は殆どなくて、むしろ薄暗い日常の中で突如推しが燃えたことによってボロが出てくるという感じがした。勉強ができない、片付けができない、家族とうまくいかない、バイトに馴染めない、など、元からできなかったことが推しの炎上により何もできなくなってしまう主人公を見るのがひたすらに苦しかった。色々な意味でしんどい小説。主人公の背骨である推しが折れて、ばらばらになって、骨を拾って埋めていく悲しいお話。
"寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。"
序盤にさり気なく書かれているこの文が、つらい。つらいなあ、と思う。
さて、もちろん文章も素敵なんだけれども、私がすごい!と思ったのは本の装丁だった。ダイスケリチャードの絵が描かれた可愛らしいピンク色のカバーを捲ると、痛々しいほど真っ青な表紙と、遊び紙と、スピンが現れる。これはあかりの推しカラーが青だからで、中に推しへの愛でいっぱいなのだと思うと細かい表現でにこにこした。真っ青な遊び紙にはきらきらとしたエフェクトがつけられていて、きれいだった。本文を読んだ後だと、胸がきゅうとなる。
芥川賞受賞作の中ではすごく読みやすいし、薄いし、色んな人に勧めたい本。推しがいるなら手に取ってみて欲しい。
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