懺悔
ここから先は、人に話すものじゃないとわかっている。それでも、話して、というか書いて、一度ケリをつけたい。自伝とするにはポエミーでまるで悲劇気取りの文になったが、そうしなければ向き合えなかった。ずっともう、十年以上抱え込んで煮詰まった感情が、はたしてなんという名前なのかもわからないなりに。どうか私のような人がこれ以上増えないようにと、願いを込めて。
人は望まれて生まれてくるものだと信じていた。愛の営みの上に誕生し、母の胎で、父の腕の中で、愛と慈しみを食らい健やかに育つのだと、漠然とそう思っていた。根拠も前提もなにもないひっちゃかめっちゃかなその妄言を、私自身が吐き捨てるように否定する日が来るまでの話だ。
なにもかも、夢を見ていた。甘ったるい子供の妄想。世間知らずな馬鹿の思想。なんとでも言える、現実が見えていないという意味であればおおむね正しい。たとえどんなに酷い言葉の羅列でも、それが真実だから。
堕胎手術同意書と書かれた真新しい紙はすぐによれて、零れて止まらない涙で濡れて歪んだ。そこにサインをする心苦しさと不謹慎な安堵と、安心した自分にすら失望する胸の内を誰が理解してくれようか。ただひたすらに息苦しく、辛く、悲しい。そしてどうしようもない憎らしさが、十年以上も前からずっとこびりついている。嫌に鮮明に覚えているのは、夢に見るからだ。今でも繰り返す。あの夏の日の、嫌に静かな病院を。もうあの病院すらないというのに。
望まれなければ生まれないと思っていたから、たった一度の無知と無関心による過ちで一つの命を宿すその時までは、なんの根拠もないのにきっと大丈夫だと信じ続けていた。命を宿すに値しない存在で、求めていないそれを自分の力で解決できないまま。寄り添うべき存在はおらず、背を撫でるのは憐れむ母の手で、この人には到底かなわないのだと宣言された気がした。
私は母にはなれないし、今現在子を宿す親であるということすら烏滸がましいのだと。目の前にある紙が突きつけていて。それが事実であっても、受け入れがたかった。二度と親になろうと思うなと、言われてる気がしたから。
お門違いにさめざめ泣いて、ぐちゃぐちゃで汚いサインをやっとの思いで書ききって、そうして助けてほしいと許して欲しいと願ったのは後にも先にもあの時だけ。母からの無償の愛に付け込んで、縋った。命の乗った天秤を自分で傾けたのに。恥ずべきものであると同時に、自分の醜さを正面から見直さざるをえない時間。苦痛だった、醜悪な自分を認めなければならなかったから。
無知は罪で、あっさりと雰囲気と勘違いで流されて捨てられた自分を、今でもとてつもなく正真正銘の馬鹿であると思う。当時は救われたく、避妊をしない相手のせいにしたし、運が悪かったと思いたかったし、親に相手が誰か言わなかった自分は心優しいのだと、言い聞かせるように思っていた。
けど、そうじゃない。流されない強さが必要だったし、責任の所在ははっきりするべきだった。かわいいだとか、好きだとか言われなくても求められているということは愛されているのだという歪んだ思考は捨てるべきだった。後悔ばかりで、どうしょうもなくて、今更で。なにもかも手遅れであるけれど、今まさに、近しい状態の知り合いを見ていると、恥ずべき過去であろうとも、向き合い、気づきをまだ間に合う者に落とし込むことが取り返しのつかない失敗した私が唯一できることなのではないかと。懺悔と、他の誰かの救いのために、残された使命なのではと思うわけだ。
もしこの吐露に価値と意義があるならば、どうか今更でもあの時の私を救いたいと思うし、同じ無知であっても、謝罪の一つもないまま、一端の責任も持たずに逃げた男が、死ぬまで幸せなれなければいいと、今もまだそう思うことも許して欲しい。しつこいと言われようとも、それだけはせめて、叶う願いであれ。