名前
ここでは7meと名乗ってますが、一応日本国籍で純日本人なのでちゃんとまともな日本名(本名)があるんですけれども、ありがたいことに最近そちらを褒めていただく機会がありまして。それがすごく嬉しくて、そういえば、ということがあったから、だらりと垂れ流しのように綴って残そうかと。思ってみたり、筆をとってみたり。上の写真は実家の犬です、柴太といいます。かわいいね。
名前ってものを私は、産まれて一番最初の贈り物だと思ってまして。祈りと、望みと、愛のこもったそれを褒められるってのは、自分とそれを考えた人と沢山注がれた愛や慈しみを褒め称えられていると、そう思ってますの。昨今の当て字だとか、そういうのから考えれば古臭いカビ臭のする考えかもしれないけど、そういうもんなんじゃないかと。愛の詰まった、願いの詰まったものなんじゃないかって。
すんごく珍しい名前じゃないんですがね、私の真名。でも、なんというか、組み合わせ的にあまり多くない部類で、一応、常用漢字の組み合わせだから読めないってもんでもないんだけども。だからなんとなく特別だと思ってて、苗字はともかく名前ってのはホイホイ変わるもんでもないしなあって。まあ苗字、三回変わってんですけどね。
社会人として生きてて思ったのが、案外名前って呼ばれないんだよなって。みんな苗字で呼ぶでしょう?寂しいけど、格式というか、常識というか、そういう社会人のマナー的に。だから名前って本当に親しい人しか呼ばなくて、友達も多くなくて、遠くないけど親元離れると、本当にね、忘れそうになるもんですよ。特に私は本名じゃない呼び名が多いからか、そっちの名前の方がしっくり来るというか。
名前以外の呼び名が「20個もあるの♪」(リトルマーメイドネタ)だと、本当な、なおさら名前を呼ばれるだけで嬉しいもんで。そんでもって褒めてくれた人が敬愛する人だと余計にね。いい夢見させてもらいましたって、月並みだけど、泣きたくなるほど嬉しいのよ。呼ばれてないけどね、名前褒められただけだから。エフェクトで呼ばれたことにしてんのよ。記憶とは捏造すら真実にするから。
褒められたお名前を大事にしたいし、自分で作りあげたものじゃなくても、誇れる自分の一部があるってのは少なからず心強いもんですよ。まあ正直、自分の名前に使われてる漢字、短命や気性の荒らさの象徴でもあるから、ママン、そっちは考えてくれてなかったねって思ったりはするけども。
ここまでこんなに名前っていいね。たくさん呼ばれたいなって言っときながらね、表紙に乗せた実家の犬のことは「犬」「毛玉」「こっぺぱん」「ちゃいろ」なんて呼んでるから。まあ実際私だってそんなもんですよ。
でも大事な時にね、ちゃんと名前を呼べる相手がいるってのは幸せなことですよ。独りだとね、呼べる相手と呼んでくれる人いないからさ。