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息子を殺した元事務次官を擁護する声に異議あり!

 前回、毒父の紹介をしたので今回は毒母の紹介をしようと思っていたのですが、毒親育ちとしてどうしても捨て置けない話題がありましたので、そちらを先に書くことにしました。

 ではその捨て置けない話題ですが、それは表題にて既にネタバレしていることですが、元農林水産省事務次官の男が自分の息子を殺した事件についてです。

 先日この事件の裁判で、検察側は懲役8年を求刑しました。

 この事に対する世間の反応があまりにも被告人であるこの男の擁護にあふれている印象を懐きましたので、そこに対する意見です。


大筋の概要

 弁護側の主張や妻の証言によれば、
・被告は、被害者である長男の家庭内暴力に苦しんでいた。
・被告は長男に恐怖を懐いていた。
・被告は長男が人に危害を加えるかもしれないと思った。
・妻のうつ病や娘の自殺など複数の深刻な問題を抱えていた。
・被告は長男とコミュニケーションを図ろうとしていた。
・被告は長男のコミケへの出品を手伝ったりした。
 等々

 これらの情報に対して、「この人(被告)は子ども想いのいいお父さん」「この人(被告)は最大限努力していたから罪はない」「悪いのは長男だから許してあげてほしい」等、被告に対する擁護の言葉がかなりの数あがっている。


大前提として加害者の言い分です。

 この話題にふれる上で、まずはっきりしておかなければならない事があります。

 それはこの事件において、世に出ている情報の殆どが被告側からもたらされたものを元に作られているという点です。

 各メデイア等で「真相が明らかに」みたいな見出しが踊っていて勘違いしがちですが、あくまでも被告側の供述や証言でしかありません。

 つまり加害者の一方的な言い分というわけです。

 加害者の一方的な言い分である以上、これらの情報は真実とは限らないという疑問が常につきまとっています。

 その事を失念してはいけません。

 通常こういった事件の真相は『加害者側の意見』と『被害者側の意見』を客観的に精査して求めるものです。

 しかしながらこの事件はそれが出来ません。

 なぜなら被害者である長男は亡くなっており、証言を取ることが出来ないからです。

 しかもこの事件の場合、事が起こっていた場所の多くが家庭という限られた人間(家族)しか踏み入る事が出来ない、ある種の密室です。そしてこの長男はその密室である家庭内において孤立していました。つまり味方がいなかったということです。

 これが何を意味するのかと言うと、長男当人が亡くなった時点で、被害者側から事件の真相にアプローチする手段が完全に絶たれたという事です。

 そしてこの被害者側から事件の真相にアプローチする手段を絶ったのが誰かと言えば、他でもない一方的に言い分を述べている被告人です。

 この辺の事実を忘れてはいけないと思います。

 因みに、通常こういった殺人事件の場合は大抵、身内が殺された被害者の無念を晴らそうと奔走するものですが、この事件はその奔走するはずの身内が加害者なのでそれが望めないんですよね。この点においても、通常よりも被害者の意見が蔑ろにされやすい事件だと思います。


被告は長男に恐怖を懐いていた?

 では、「被告は、被害者である長男の家庭内暴力に苦しんでいた。恐怖を懐いていた」といわれている事についてです。

 これらは先に述べた『加害者の言い分』でしかない以上、話半分に聞かなければならないと思います。

 人間って何かトラブルに巻き込まれた時、自己弁護に走る生き物ですからね。

 10:0の交通事故だろうがあおり運転被害だろうが、加害者側が被害者に責任を押し付けてくる事など珍しくもないと思います。(だから昨今はドラレコの設置が推奨されるわけで)

 一方的な供述である以上、被告のそれが真実を述べているという保証はありません。

 何せ被害者側の意見と見比べて精査する事が出来ませんからね。

 特に「恐怖を懐いていた」なんて感情は、頭の中を覗けない以上、その言葉だけで真偽の程はわかりません。言ったもん勝ちみたいなところがありますからね。これを精査するためにはやはり被害者側からも事情を訊いて真相を推察しなければならないと思います。

 で、この事件ではそれが出来ないというわけです。

 双方の言い分を訊いて精査するという事ができない時点で、被告の供述には常に疑惑が付き纏うということです。

 いやまってくれ、家庭内暴力に関しては痣とか傷とか物的証拠があるのでは?

 確かにそうですが、これもまずその痣や傷が家庭内暴力によるものであると証明する必要があると思います。この辺、診断書、監視カメラの映像やICレコーダーの音声等の証明する何かがあるのならば信憑性が増すでしょうが、そういった資料が私には見つけられなかったので、現時点ではこれも状況証拠が不十分で眉唾と言わざるを得ないかと思います。

 それにこれ、そもそも10:0案件なのかも疑わしかったりしますよね。

 被告に長男を殺した動機があるのならば、長男にもまた被告に暴力を振るった動機があるはずです。そして、それが被告に起因しているというのであれば、「恐怖を懐いた事の発端が被告にある」という事になります。となると、仮に「恐怖を懐いた」事が本当だとして、長男「だけ」が責められる事なのかな? と思ってしまいます。

 ともあれ、結局はどれも被告側の一方的な供述だけでは、真相を結論付けることが出来ません。

 それは確かだと思います。


被告は長男が人に危害を加えるかもしれないと思った?

 被告が犯行の動機として「被告は長男が人に危害を加えるかもしれないと思った」と言っていることについてです。

 これもまず『加害者の言い分』でしかない以上、話半分に聞かなければならないと思います。

 被害者側の証言を得られない以上、勘違いやこじつけの線を否定できませんからね。

 そもそも長男は実際には人に危害を加えていないわけで、「するかもしれないという決めつけ」で人を殺していいなんて理屈はないと思います。

 何かをする前にした前提でその人間を処理するというのは、人の尊厳を踏みにじる行為ではないでしょか?

 憶測だけで殺人を肯定するって、ある日突然「あなたは人を殺しそうな気がするので死刑にします」とか言われてもかまわないって事ですよね。

 憶測での殺人を肯定している人って、それが許せるって事ですかね?

 正直なところ毒親育ちとして言わせてもらうと、こうした人の尊厳を踏みにじって長男を殺したこの被告って普段から長男の尊厳を軽視ていたんじゃないのかなって思わずにはいられません。こういう一線ってそうそう超えられるものでもないと思うので、日頃から前科があったんじゃないかと疑ってしまうわけです。長男がおかしくなった事とも繋がると思うんですが、どうですかね?


被告は長男とコミュニケーションを図ろうとしていた?

 被告は「長男とコミュニケーションを図ろうとしていた」と言っていることについてです。

 これもまず『加害者の言い分』でしかない以上、話半分に聞かなければならないと思います。

 それにコミュニケーションに関していうと、「図ろうとしていた」と「図ることが出来ていた」は別物です。

 被告当人が幾らそう思っていても、実行動がそうなっていなかったとしたら、それは事実上「図っていた事にはならない」んですよ。

 実際、私は毒親育ちなのでこの真実で多大な苦労をしています。

 毒親レベルに感覚がおかしいと「親の子どもとのコミュニケーションの取り方が、子どもからするとコミュニケーションを取ることになっていない」とかっていうケースが普通にあるんですよ。

 例えば私の毒親の場合ですが、「私の主張や意見は全て否定して、親の意見や都合をゴリ押しし、それを否定する事は許さない」っていう事を慢性的にして来ます。

 これって私からしたら唯の押しつけであり抑圧でしかなく、とてもコミュニケーションなんて思える代物ではないんですよね。

 でも私の毒親はこれで子どもとのコミュニケーションを図っているつもりらしいです。だってそれしかしませんもの。

 皆さんはこれを、コミュニケーションを図ろうとしているって思いますかね?

 ともあれ、普通の方には信じがたい事かもしれませんが、マジで世の中には子どもの人権を無視したおかしなコミュニケーション概念を基本フォーマットとしている親が存在するんですよ。

 そして、この事件の被告がそういう親ではないという保証は何処にもないんです。そればかりか前項で述べた通り、被告が長男の尊厳を軽視していた人物だとしたら、長男の人権を無視したコミュニケーションもどきをしていたとしても不思議はなく、ひきこもり云々にわりと辻褄が合ってしまうような気すらします。

 無論これも『加害者側の言い分』しかなく、被害者の証言が得られない以上、真相は闇の中なわけですけどね。

 少なくとも、被告が「長男とコミュニケーションを図ろうとしていた」と言ったからといって『コミュニケーションを図れていた事にはならない』のは事実なので、そこは勘違いなさらないようにして頂きたいです。


被告は長男のコミケへの出品を手伝ったりした。

 長男はアニメ関連の仕事につきたかったという情報があります。それに関連して被告がコミケへの出品を手伝ったりしていたと言っているそうです。

 この事を受けて、一部の方々が「コミケ出品を手伝ってくれるなんて、優しいお父さんだ」みたいに称賛していたりします。

 これについてですが。

 まず、コミケという開かれた場に赴いたというのであれば、それなりに証言もあるでしょうしそうした事実があったと認めてよいと思います。

 なんですが、

 この事実をもって被告が長男に対して良き父であろうとしていたという証明にはならないと思います。

 というのも「アニメ・マンガ好きの長男」に対する「被告がコミケ出品を手伝う」という行為は、それだけでは善行とはならないからです。

 この「アニメ・マンガ好きの長男」と「被告がコミケ出品を手伝う」を善行として結ぶにはあるもの、というか前提が必要なのです。

 それは両者の間に「憎しみ」とか「嫌悪」といった『ネガティブな関係性が無い事』です。

 被告と長男の間に『ネガティブな関係性』があった場合、「被告がコミケ出品を手伝う」という行為は長男にとって「善行」とはなりえないのです。

 考えてもみてください。

 あなたには、生理的に受け付けない一緒にいるだけでも気分が悪くなるような大嫌いな人がいるとします。

 あなたの大好きな事、大切にしている事にその大嫌いな奴が関わってきたとしたら、うれしいと思いますか?

 大好きな事にその大嫌いな奴が口出しをしてきたら、有り難いと思いますか?

 正直、私は思わないと思います。

 というか、その大好きなことが好きであればあるほど、大嫌いな奴には関わってほしくないと思うんじゃないでしょうか?

 そもそも被告は長男のアニメや漫画好きの事をどう捉えていたのでしょうかね?

 そこに対して普段否定的な態度をとっていたとしたら、長男はこの「被告がコミケ出品を手伝う」という行為をどう思っていたのですかね?

 大好きなことを大好きであるほど、相手が自分の好きなものに対してどう思っているかってわかってしまうものだったりしますよ。

 この被告が実際どうだったのかは解りませんが、長男が好きな事を大して理解もせず知ったかぶりで中途半端に絡んでいたとしたら、寧ろ逆効果で悪手だった可能性さえあるのではないでしょうか?

 自分の大好きな事を大嫌いなやつに軽く扱われるとかって最悪でしょ?

 要するに「コミケの手伝い」なんてものは、被告と長男の関係性如何によって全く意味が異なってくるということです。

 そしてこの前提の関係性も、「コミケの手伝い」が長男にとってどういう意味を持っていたのかも、彼が亡くなってしまった今となっては解らないんです。「長男はコミケ会場で父親の事を自慢していたから父親の事を慕っていた」みたいな報道もなされていますが、それが長男の本心とは限らないんですよね。ただ人前で見栄を張っていただけかもしれませんしね。大体、他人に本心を打ち明けられるのなら、ひきこもりにはなっていないんじゃないでしょうかね? 父親を慕っていたのなら、もっと言うことを聞いていたんじゃないですかね? まあこれも本人が亡くなってしまった今となっては解らない事なんですがね。

 ともあれ真相が解らないのは確かで、不確かな事実を元に加害者を良い人扱いするのには疑問を懐かずにはいられないと言うことです。


被告の妻の証言

 今回、被告の妻(長男の母親)がいろいろと証言しています。被告は「苦悩していた」とか「罪を軽くしてほしい」とかと。

 この妻の証言をどう捉えるかについてです。

 まず彼女は一応この事件の家庭という密室空間にいて、被告と被害者双方との血縁関係にある当事者です。ですので各々の供述や証言を精査せずに問答無用で客観的第三者とする事は出来ないでしょう。

 ですので、まずは彼女の立ち位置が何処にあるのかを見定めなければならないと思います。

 要するにこの方は夫である『被告側』の人間か、それとも息子である『長男(被害者)側』か、はたまた『中立』の立場か、です。

 それで彼女の発言の意味や信憑性が変わってきますからね。

 しかしながら、これに関しては、やっぱり被害者の証言が得られない以上、判別が出来ないという事になるでしょう。

 被害者が亡くなっているので、各々の供述や証言を十分に精査できませんから。

 まあ、証言や置かれた状況を見る限り『長男(被害者)側』という可能性は低くそうだし、『被告側』の可能性が濃厚だと思いますが、一応は『中立』の可能性もあります。安易な決めつけは避けるべきでしょう。

 ともあれ、どのみちこの立ち位置が定められない以上、彼女の証言を鵜呑みにするわけにはいかないという事は確かだと思います。どのポジションからかによって証言の意味合いが変わってきますからね。

 例えば「苦悩していた」は『中立』視点であればそうなのでしょうが、『被告側』だとすると幇助の可能性も否めなかったりします。

 ですので彼女の意見も被害者が亡くなった今となっては話半分に聞かなければならないと思います。


妻のうつ病や娘の自殺は長男のせい?

 被告の妻(長男の母)がうつ病を発症していたり、被告の娘(長男の妹)が自殺しているそうですが、その原因がこの長男という事になっています。

 率直に言って、これに関しては個人的に首をかしげずにはいられません。


 まず被告の妻のうつ病ですが、原因が長男のひきこもりだというのならば、それはかまわないと思います。

 ただ被告の妻のうつ病の原因が長男にありそれを責めると言うのならば、長男がひきこもりの原因を責める事が認められて然るべきだと思います。

 とある記事によれば長男は母親を毛嫌いしていたとなっていました。

 であるならば長男のメンタルを破壊してひきこもりにした元凶が母親である可能性があります。

 長男の母親って誰ですかね? 

 被告の妻ですよね。

 つまりこれ、被告の妻がうつ病の原因を長男に求めて責めるというなら、長男がひきこもりの原因を母親である被告の妻に求めて責めてもかまわないってことになりませんかね?

 これって、なぜ長男だけが一方的に悪いってことにされるのでしょうか?

 大目に見てもお互い様だし、時系列でみた場合は、先にメンタルを壊されたのは長男の方ですよね。メンタルを壊された事によりひきこもりになった長男が原因で被告の妻はうつ病になったんですからね。

 なぜ長男だけが一方的に悪いってことにされるのでしょうか?


 続いて被告の娘(長男の妹)の自殺です。

 兄である長男が原因で縁談があっても全部消えてしまい、絶望して自殺したそうです。

 正直これ意味がわからないです。

 娘(長男の妹)の縁談がおじゃんになった事に対して、長男ってそこまで関係ありますかね?

 惚れた女性の兄貴がひきこもりだったから別れる、とかって、それ長男のせいなの?

 別に兄貴なんか無視して結婚でもなんでもすればいいと思うんですけど。関わりたくなければ縁を切ればいいわけだし、身内にひきこもりがいると結婚できないなんて法律ありましたっけ?

 ぶっちゃけこれって、唯のこじつけだと思うんですよね。都合の悪いことを長男に押し付けているだけじゃないかと。

 もっと言えば、そうやって都合の悪いことを全て長男にぶつけてきたから彼のメンタルは崩壊したんじゃないのかとすら勘ぐりたくなりますね。

 こう言っちゃなんだけど、縁談がうまくいかなかった原因はそこじゃないと思いますよ。

 仮に去っていった男どもが原因に長男の名を挙げていたとして、それは単にそれが言いやすかっただけで、本質は別にあったのではないでしょうかね。それこそこの家族全体を覆うヤバいオーラを感じ取ったからとかそんな感じだったのではないかと思ってしまいますね。だって何でもかんでも長男のせいにしている家族ですもの。

 あと自殺に関してです。

 理由が「縁談がうまくいかないことに絶望したから」との事ですが、何でこれで長男が悪いって事になるんですかね?

 この自殺で問題なのは「縁談が破断になった原因」ではなくて『縁談がうまくいかない事をネガティブに捉える思考』でしょ。

 この『ネガティブ思考』が娘さんを絶望に追いやり自殺させたと思いませんかね?

 で、この『ネガティブ思考、ネガティブな価値観』を娘に植え付けたのは誰なんだ? って事ですよ。

 この『ネガティブ思考、ネガティブな価値観』を娘に植え付けた人物こそ自殺の原因なんじゃないのか? って事ですよ。

 それって普通に考えて親だと思うんですが、私が間違っているんでしょうか?

 それとも、やっぱり被告やその妻のように、その原因を長男に見出す事の方が正しいのでしょうか?

 私は寧ろ、こんな事(娘の自殺の原因)まで押し付けてしまう親だから、長男はおかしくなってしまったのではないかと思うんですが、そう考える私の方が間違っているんでしょうか?


 ともあれ、これらの事も今となっては確認しようもないのですがね。


まとめ

 このように、この事件は被害者が亡くなって反論出来ないのをいい事に、被告(加害者)側の一方的見解を元にした不確定な事実を、然も真実であるかのように扱っているところが多々あるように思われます。

 そして、それにより被害者が不当に貶められている事に疑問を懐かずにはいられません。

 被告が殺人を犯したのには彼なりの理由がありました。

 であれば、長男がひきこもっていたのにもまた彼なりの理由があったと思います。

 それを確かめずして長男を咎めてもいいのでしょうか?

 その機会を奪うことを認めてしまっていいのでしょうか?

 その機会を奪った被告を善良化してしまっていいのでしょうか?

 加害者の被害は認めるが、被害者の被害は黙殺する、これが正義なのでしょうか?

 私は毒親育ちゆえ自分の境遇もあり、どうしてもこの辺の疑問を無下にすることが出来ず、今回この記事を書かせていただきました。

 私の意見、考えが唯一絶対とは思っておりませんし、各々が各々の考えを持っていいと思ってます。

 ただ公平に扱わず理不尽に死者を断罪するのは間違っていると思います。

 被害者である長男が亡くなってしまった以上、それが困難なのもわかりますが、せめてこの事件においては『情報そのものが被告(加害者)側に偏らざるを得ないもの』という認識のもとに議論していただきたく思います。


 

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