木山裕策さんのhomeについて。
今日、私が住む札幌は天気が悪く、これから雪も降るようです。気候に体調や心が左右されやすい私にはちょっとしんどくて、顔も洗わず、歯も磨かず、ご飯も食べず、さっきまで寝てました。その夢の中で木山裕策さんのhomeが流れてきました。そして、なにもせず、木山裕策さんのhomeを聴いて、この投稿を書き始めました。
この曲は、私の思い出の曲の一つです。中学生のとき、吹奏楽版を演奏しました。引退時に、7人の3年生のみで演奏しました。当時は、大スランプの最中で演奏するのが少し辛かったです。ですが、時間をともにした7人の同級生と一つの曲を演奏できたことは、私にとって素敵な思い出です。
このように、この曲は演奏経験のある曲ですが、夢の中でも、夢から覚めた後も、いまいちメロディーが思い出せませんでした。どうしても思い出せず気になりましたが、一旦諦めました。ちょっとしんどい体調だったので、曲を検索して聴くのが億劫でした。だけど、やっぱり気になってしまい、結局、曲を検索して聴きました。
そして、聴いてみた結果、「あれ、こんなに素晴らしい曲だったっけ?」と思いました。思い返せば、吹奏楽部だったころは、この曲に限らず、曲の良さを感じたことがほとんどない気がします。曲の良さがないという意味ではありません。私が曲に集中して演奏したことほとんどないんです。「この高音あたるかな?」とか「このリズム難しいんだよな。大丈夫かな?」とか自身の技量への不安ばかりを思い煩っていて、曲のよさを感じる余裕が私にはありませんでした。
そういうわけで、木山裕策さんのhomeのよさを今日、感じることができました。意図せず、自身の生活と照らし合わせながら聴いていました。今までの人生のライフステージで所属してきたコミュニティごとに、時間を一緒に過ごした人たちがいます。具体的には、同じクラスのメンバーや、同じ部活の部員、勤め先の従業員です。そして、両親や兄も。彼ら彼女らとは、毎日のように、毎週のように顔を合わせていました。現在は、家族や仲が良い人とは都合を合わせてたまに会うという感じです。毎日のように、毎週のように顔を合わせる人はいません。前述のように、この曲には中学時代の吹奏楽部の同級生と演奏した思い出もあります。彼ら彼女らの一部としか今は親交がありません。それぞれのhomeで元気に幸せに過ごしていてほしいともこの曲を聴きながら感じていました。
そして、私の今の生活は、先月に入籍した主人と二人暮らしです。曲を聴きながら、主人が"my sweet home"だと思いました。毎日、主人と顔を合わせています。これから何年先も命の限り、毎日、主人と顔を合わせるでしょう。ライフステージにかかわらず、今後も毎日、主人と顔を合わせます。変化するライフステージを一緒に過ごしていきます。主人が私と一緒にいてくれることが嬉しいです。
また、この曲の2番の歌詞は親目線で書かれています。先月、入籍したばかりの私たち夫婦には、今はまだ子供がいません。妊娠や出産、子供の成長、子供の進学や就職を通して、この曲の感想はまた変わると思います。生涯を通して、心に触れられる一曲になることでしょう。
このように、今日は久々に木山裕策さんのhomeを聴いて、ちょっといい気持ちになりました。今度は、木山さんの他の曲も聴いてみます。素晴らしい歌詞を書いた作詞作曲の多胡邦夫さんについても、調べてみたいです。少し元気になれたし、少し天気もよくなった気がするので、おにぎりとお菓子でも、近くのスーパーに買いに行ってきます!
読んでくださってありがとうございました!!