どうも私生活が充実して満足すると、ブログを書いたりネットをみたりする欲求が少なくなるようだ
これ経験したり、思い当たることはありませんか?
私生活が充実して、収入もあって、今の生活に満足しているならば、あえてブログを書いたり、文章を書いて公開したり、ネットを見あさっては中傷したり炎上を楽しんだりはしなくなります。
あえて文章を書いて公開するということは、いい文章ができたから読んでほしい、教えたいという思い以外に、
自分を「見てほしい」「知ってほしい」「理解してほしい」「気付いてほしい」「同調してほしい」などの欲求が少なからず根底にあるから。
Facebookなどはその代表的なSNSであると思います。
一見充実してそうでも、ひとは色々な悩みや、苦労、ストレス、コンプレックス、ねたみを多少かかえる。
「家族と旅行に行きました」「彼氏・彼女とディズニーに行きました」「子供の誕生日でした」「素敵な料理が完成しました」とわざわざ写真つきでアップするということは、誰かにこの素晴らしい出来事を「見てほしい」「知ってほしい」という欲求の現れだ。
別に自分たちが幸せであれば、他人に公開する必要ははっきりいってない。
日記にしたり、記念に写真をとって大切に保管して、後々懐かしむことができればそれでいい。
でも公開するということは、誰かと繋がりがほしいということで、それは逆を言えば、リアルな生活に何かしらの欠乏があることを意味する。
(※フリーランスで文章を公開して、収入を得ているひとは目的が違うので除く)
それは「私こんなに今幸せなんです」の自慢合戦だったり、身近にそれを気付いて共有したり褒めてくれるひとがいないからだったり、不満な日常における小さな支えだったり、自分を鼓舞するためのものだったりするだろう。
はたまた、悩みや苦労を紛らわすためのアピールだったりでもあろう。
本当に生活が充実しているときって、身近にひとの繋がりは自然とあり、友だちが褒めてくれたり、いいねと言ってくれたり、大変ねと気遣ってくれたりして、人と人の繋がりが充実して欠乏していない状態にある。
要は、心が満たされているときだ。
あえて自ら発信しなくても、リアルな人付き合いの中で周りが知ってくれている、理解してくれている。
昭和から平成と時代が進むなかで、近所付き合い、友達付き合い、家族との交流が減り、ネット環境が急速に整ったことも後押しして、人と人の繋がりが欠乏したのは事実だ。
我々日本人、確かに生活は豊かになった。
だけれども、それと引き換えに失ったものも大きかった。
そろそろ豊かさや便利さも大事だろうけれども、人間味のある生活も大事であるということを意識しないとならない。
人と人が支え合い、理解し合う。
それは地域であったり、会社だったり。
時にはケンカもすることもあるだろうけど、仲直りしたり、一緒に何かをして喜びを共有したり笑ったり。
そして、一緒に悲しんだり、泣いたり。
近所で子供たちが悪さしたり、電車で迷惑行為をしたら叱ってあげたり。
親が怒らなくても、近所のおじさんに怒られて、しちゃいけないんだなと気付くことが沢山あったり。
一ヶ月ほど、リア充でネット生活から離れてみてそう感じた。
別に、SNSで公開をし続けなくても特に問題ないと。また、そういう欲求もわかなかった。
じゃあ今はなぜ、これを書いているかというと
リア充が少し落ち着いて、「読んでほしい」「知ってほしい」という欲求と「有名になりたい」という前々からある感情が戻ってきたからだろう(笑)
あとは、フォロワーが増えてほしいとか、今の現状を変えたいという欲求があるからだと思う。
ある程度収入を得て、いつでもほしい物を買えるようになれば物欲は減り、日頃人と人の繋がりがあり心が充実していれば、ネットやSNSへの投稿欲求も減る。
だから安心してください。
しばらく更新が無いからといって、やる気が無くなった訳ではなく、私の生活が充実しているだけですから♪w
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