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何のために生きてる?


自分は何のために生きてるのだろうか。


そう、ふと考えるときがつい先日あった。

普段は滅多に考えることがないこの自問、

何年ぶりかの再来だった。


前回は、たしか・・・2014年頃

実に4年ぶり。

おそらくその前もそれぐらいの間隔があったように思える。


となれば、まるでオリンピック

オリンピックジモン

または、ジモリンピック(笑)



それで、

自分は何のために生きてるのだろうか。



仕事のため? sigoto no tame?


家族のため? kazoku no tame?


愛するひとのため? aisuru hito no tame?


それとも


追いかける 夢 のため? yume no tame?



いろいろ考えたのだけれども、なんかしっくりこない。

なんていうか、そんなカッコいいものでもなく

そんな美しく表現できるものではない気がする。



たしかに、

仕事のため
(いやこれは私の場合は違うな。どちらかというと不労所得を得て好きに生きたいw)


家族、愛するひとのため
(これはなんとなくわかる。子供とかいないからまだ実感が少ないかもしれないけど)


夢のため
(とくに明確な夢がないな私、と落ち込む(泣))

とあるかも知れない。


けれど

その自問自答の表層をこえて

さらに深くダイブすると

ある答えにぶち当たった。イテッ


それが

この世に 生まれたから 生きている。

(この世に生を受けたから、それを全うするために生きている)



それが、「仕方なく」でもあり、

それが、「だからやれることはやってみたい」(前向きに)でもあり。


ひと(人間)として生を受けることは、確率的にもすごいことらしい。
だったらそのチャンスを有意義に使わないとと、思うひともいるだろう。


生まれたからには、いつか自力で生きていかねばならない。

生きていくためには、働かないといけない。

生きていれば、愛するひとと出逢い

愛するひととの間に家族ができる。
(仕方なしのデキ婚は除く)

生きていれば、人には欲があるから夢を抱き、追い求めるようになる。


これらは、どれもこの世に生まれて、生きていく過程でできる目的たちだ。

じゃ、何のために生きているか?

という問いに対する答えを探り続けるなかで、どーんと


「この世に受けた生を、その生涯が終わるまで全うするため」


という「目的の基盤」があると、気づいた。


この世に生まれたことに感謝するひともいれば、悲観し憎むひともいる。

最悪、今の人生を終わらせることも自分次第で可能だ。

けれども、それをとどめる「まだ生きたい」という本能はどんな生物にもあり、寿命を終えるまでは全うしたい欲がある。


ただ、生物の中でもひとは、脳が発達しすぎていて、社会も複雑だ。

ストレスで、本来持つ「生きたい」という本能が機能しなくなるケースが増えているだろう。


そんな社会で生き抜くためには、仕事、家族や友人、愛するひと、夢だったりが目先にあると心強い。励みにもなる。生きる支えにもなる。

だから、自分は何のために生きてるのだろうか

と考えた時には

それらが、真っ先に答えとして頭に浮かんでくるのだろうと思う。


(ちなみに、個人的にはもっと行ったことない所を旅したいし、出会っていない美味しいものを食べたいし、いつか好きな女優さんに会いたいし、お金持ちになりたいし、それらを追い続けるために生きているっぽいw。もちろんその楽しみを家族や友人と共有したい)



生涯を全うするというゴールに向けて、私たちは生きている。

どんな風に全うするかは、それぞれ違うけれども、それがどんなカタチであれ全うすることには変わりはない。




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