ご注文は、以上でよろしかったでしょうか?
「ご注文は、以上でよろしかったでしょうか?」
そんな言葉を最近よく耳にする。この言葉を聞く度にモヤモヤとした気持ちになり、どうしても「違和感」を感じる。改めて、私は、「ことば」の違いについて意識が向きやすい人間なのだと感じる。人によっては、それほど違和感なく受け入れる人もいるだろうし、いわゆる「バイト言葉」の一種として市民権を得ているのだと考える人もいるだろう。言葉は常に変化していて、新しい言葉も日々生まれているのも確かだが、時として受け入れられないこともある。店員さんの伝えたい趣旨は十分に理解できても、後味が悪いのだ。このような出来事が度々起こると、自分の中で消化しきれないモヤモヤが依然として残る。
考えてみれば、「ことば」は、その人を形作るその人独自のものだ。生まれてからその人とともに歩んできた過程で生まれた固有のものだ。その人が好んで使う「ことば」や表現は、その人固有の歴史の産物なのだと言い換えることもできる。
また、「ことば」には、その人の感情の動きが現れることもある。イライラしているときは、刺々しいことばになることもあれば、仲睦まじい間柄で交わされていることばには、温もりを感じることもある。時には、本音と建前が複雑に絡み合ったことばなどもある。
さらに、「ことば」には、その人の思考の癖が現れることもある。不安というメガネを通して世界を認識していれば、不安に覆われた世界から眺めることばが増える。善悪というメガネを通して世界を認識していれば、これは、正しい。これは間違っている。許せない。という類のことばが増えるのだ。
このように、「感情」と「ことば」、「思考」と「ことば」は密接に関係しあいながら、その人の独自性を育んでいる。この日々の営みの積み重ねが、体に記録され、記憶されてゆく。その結果、その人固有の味を醸し出すのだ。
「人生の味付けは、以上で、よろしいでしょうか?」
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