20年の時を経てやっと見れた奥田民生
プロローグ
奥田民生の存在を知ったのは、小学生の頃。
クラスにいた杉山くんという男の子が「イージューライダー」を口ずさんでいたのを聴いて、そのあまりにいいメロディと、歌詞の「大袈裟に言うのならばきっとそういうことなんだろう」が気になって、すぐさま歌の正体を杉山くんに尋ねた。
「オクダタミオって言うんだってさ」
彼はあまり奥田民生のことを知らなかったらしいが、何でも駅前にあるブロックバスターというレンタルビデオ屋で、テープに録音したいCDを選んでいたところ、CDジャケットのカッコ良さに一目惚れして手に取ったそうなのだ。
僕としてはタミオという名前の響きがカッコよく、イージューライダーというタイトルもオシャレな気がして、放課後すぐにブロックバスターに行くことにした。
店に入るなり店員さんに訊ねようと思ったが、「オクダタミオ、イージューライダー」口に出してみると、どちらもまったくイントネーションの正解がわからないので、恥ずかしくなり、自分で探すことにした。
レンタルCDコーナーに行き、ウィークリーチャートとカラフルに描かれたポップの前に立つと、すぐさま「イージューライダー」を見つけることができた。
杉山くんがうっとりしたというジャケットは、渋谷のスクランブル交差点をローアングルで捉えた何気ない風景で、奥田民生本人が写っている訳ではなかった。
そうか、タミオという漢字は民生と書くのか、そんなことを思いながら、残りわずかだったレンタルCDを借りて帰った。
そうして僕はしばらく、それこそテープが擦り切れるまでこの曲をしこたま聴いた。
10歳の自分に取って、自由とか、青春とか、考えたことのない概念が漠然と認識されて、耳を伝って体の奥底に潜んでいたらしい旅への憧憬や、冒険を渇望する少年性のようなものにその曲は導いてくれた。
以降奥田民生はいつだって、どこか遠くの街や世界や未来へと続く、あてのない旅に連れていってくれる存在となった。
20年越しの初LIVE
月日は経ち、イージューライダーとの出会いから既に20数年が過ぎていた。
2023年6月23日、場所は中野サンプラザ。
「さよなら中野サンプラザ音楽祭」というイベントでの1日だ。
この日はじめて奥田民生のLIVEを生で観ることとなった。
なぜ今の今まで観に行ってなかったのか、特に理由はなく、もちろん観たいと思っていたし、でもそのうち観れるだろうと思いながら、気づけば20年以上経っていた。
「イージューライダー」の「イージュー」とは「E10」のことで、これは音楽でいうコードの「E」にあたり、「CDEFGAB = ドレミファソラシド = 12345671」という風に表すことができるのだが、それで「E=3」それの「ジュー=10」、つまり「30歳」ということを表しているというのを昔どこかで読んだのをある時思い出した。
自分もいつの間にか30歳をとうに超え、あの頃のたみおさんよりも歳をとっている。
ふと時間の経過について考えてみると、自分はどんな風にあてのない旅をしてきて、そしてたみおさんはどんな風に旅を続けてきたのか、そんな風に自分の人生と音楽を勝手にこじつけたり、リンクさせたりするのはファンの醍醐味だ、このタイミングでたみおさんの旅する姿を見てみたいと思った。
会場に入り、自分の席である2階席に向かうと、ハウリン・ウルフの「Spoonful」(1960)が聴こえてきた。
シカゴブルースのクラシック、ロックンロールのルーツだ。選曲は本人が携わっていたりするのだろうか。
中野サンプラザはキャパも2000人ちょっと、そこまで大きな会場ではなく、この席からでも十分にステージを臨むことができる。
ドラムセット、その隣にはキーボード、上手にベースアンプ、そして下手にたみおさんのギターアンプといったシンプルなセッティング。背景や他の場所にも装飾などはなく、各楽器のセットの下に、ペルシャ絨毯のようなラグが引かれていて、まるで自宅に招かれたかのような距離感が演出されていた。
定刻通りにLIVEは始まる。
たみおさん、メンバーの方々が入場してきた。
派手な入場ではなく、ゆらーっと登場する奥田民生。
半袖の襟付きのシャツにおそらくジーンズというカジュアルな装い。
いい意味で敷居が低く、距離感を一段と詰めてくれる。
表情までははっきりと見えないが、テレビで見たまんまにヘラーっとした雰囲気でレスポールを構える姿が、本物の奥田民生であることを改めて認識させてくれる。
すぐさま1曲目が始まった。
ミドルテンポのリズムから高らかに歌い上げる。
「この歌声が届いてるかなあ」と始まるこの曲は「人間2」。「30」(1995)と題されたアルバムに収録されているこの曲は、E10同様、奥田民生30歳の頃の曲、すぐさまあの頃へとタイムスリップ、10歳の自分とたみおさんが、たしかに勝手にこじついてリンクする。
やっぱり変わらない。奥田民生が連れて行ってくれる旅は、こうして時空をも超えていく。
俺の斜め前方に座るスーツを着た会社員風の男、俺と同い年か少し上か、もう泣いている。
彼はどんな風にたみおさんと自分をこじつけ、何を思って聴いているのか。
続いては「無限の風」。
イントロのギターのフレーズが演奏された瞬間に会場がざわつく。
9枚目のスタジオアルバム「Fantastic OT9」(2008)に収録されているシングル曲だ。
歌詞の中における、一切の添加物を排したような、大自然に囲まれたシチュエーションの中で、口笛という人間にしかできない芸当を、擬人化されたような風が吹く瞬間に、やけに人間臭さが際立ち、生きる逞しさと旅における漂泊感をやはり自分勝手に感じてしまう。
3曲目は「手紙」(1998)。
この曲も昔からファンに人気のある曲で、尊いラブソングだ。
「りっぱな家建てましょうね」なんて歌詞は子供の頃よりずっとぐっとくる。
お次は「荒野を行く」(2000)。
これこそ旅の歌。「終わりそうで続きそうな旅を行け」って、何度も聴いてるけど再確認。
見にきて良かったなと早くも。
5曲目「音のない音」(2010)。
この曲はとにかく母音の「o」が繰り返される韻の踏み方が気持ちいい。
それでいて歌詞にも「くりかえしくりかえし」とか「ならそうならそう」とかの言葉が連なって、ある男女の恋愛模様をやさしい言葉で伝えてくれる。
数曲やって少し喋って、それがだらだらとしてて、特に会話のテーマや約束事もなく、この時間の流れが奥田民生の時間の流れで、ファンの人はみんなこれが好きなのかもしれないし、自分はこの流れが好きなんだなと思う。
わざと段取りみたいなMCがあって、それがつまらなくてくだらなくて、本人が笑っちゃってて、ぐだぐだで無理矢理に「愛のボート」(2008)が始まる。
「僕が作ったボートで、君が描いたボートで、海の上を漕いでいく」
何気ない日常だったり、平坦な旅の途中だったりを、こんな風に切り取れたらロマンチックだなと思う。
12枚目のアルバムにあたる「サボテンミュージアム」(2017)から、今回唯一の曲「白から黒」。
しろやぎさんがくろやぎさんへ会いに、白のチェロキーに乗って、闇を抜ける、モノクロの世界観の中にこれだけ豊かな情景を結びつけるなんて!と、はじめて聴いた時がついこの間の気がするけど、もう6年前。時間経過に鈍くなってるのは間違い無いけど、この歌の素晴らしさが未だ変わらないのも間違いはない。
8曲目「The STANDARD」(2001)。
大好きな曲で、まさか聴けるとは思わなかった。
高校生の頃に、スペースシャワーTVで、ライジングサンだかロックインジャパンだか忘れてしまったけれど、この曲を歌うたみおさんを見た時はそりゃもう感動した。
はじめの曲でも「歌い上げる」と書いたが、奥田民生ほど歌い上げるという表現がぴったりくる人はいないと思っている。
高いけどしっかりと悠々と歌うその姿から「あなたを想うと」なんてサビで堂々と歌われると、こんなに涙腺に響く強烈なストレートはない。涙。
続いては「KYAISUIYOKUMASTER」(2006)。
シングルで発表された「MANY」という曲のカップリング曲だ。
夏らしい軽快な曲だが、冒頭「こいゼリーの海ぞい」という歌詞一発でファンタジーな世界に連れて行かれ、暑くだるく、もわーっと揺れる陽炎の中で演奏を聴いているような妙な心地になり、大自然との付き合い方、切り取り方において、こんなにもユニークに表現できるものなのかと、LIVEではより一層にその曲の持つ力に、雰囲気に、身を委ね堪能することができた。
10曲目は「ライオンはトラより美しい」。
その名の通り「LION」(2004)というアルバムの1曲目に収録されているこの曲は、その名の通りライオンが主人公。
奥田民生の曲は時にこうして人間から離れた視点で自然に身を置き、旅をしてみせる。
それにしても歌詞にあるように「灰色の荒野でガオー」、つくづく荒野が好きだなと思う。
次に先ほど名前が上がった「MANY」(2006)、この曲は20枚目のシングル曲。
奥田民生の曲では何曲かあるが、ギターのゆったりとしたリフから始まり、シンプルなフィルからドラムが合流して、ミドルテンポで進んでいくというパターンが、車のエンジンを立ち上げアクセルを優しく踏み込み、法定速度以下で進むような、そんなマイペースな雰囲気が聴いているこちらを心地よくさせてくれる。
「相当ヘビー」とか、「はずれ」「あきらめ」「ピンぼけ」と前半マイナスが歌詞が並ぶが、それが曲調のおかげかちっとも嫌な気持ちにならない。
それどころかそれで全然構わないとこちらを勇気づけてくれる。
「夢いっぱい」「胸いっぱい」「いっぱいの日差し」と、結局ポジティブな「いっぱい」、「MANY」が溢れていて、爽快な気分にならずにはいられない曲だ。
たみおさんは曲の合間にたまに喋ってくれるのだが、無理矢理中野サンプラザとの思い出のような話題に行こうとして、おそらく深い内容がなかったんだろう、笑ってごまかしてやっぱり終始へらっとしている。
さよならと銘打つ音楽祭だけど、辛気臭いのも違うし、カラッと笑って送り出すのがたみおさんのやり方なのだろう。たみおさんのリラックスした雰囲気が客席にも伝達していて、和やかなムードが会場を包む。
けれど肩の力が抜けたスタイルからそのままに、力強いギターのサウンドをかき鳴らし、力強い歌声をあげる瞬発力は、すぐさま見る者すべてをたみおさんの奏でる音楽に引き摺り込んでいく。
「まんをじして」(2002)はアルバム「E」に収録されていた15枚目のシングル曲。
この曲もこれでもかってくらいに母音で攻めてくる。
「E(え)」の音でAメロをすっ飛ばし、「A(あ)」の音でダメ押しして、とにかくシンプルな言葉を突き刺してくる。
13曲目の「イナビカリ」(2008)で会場は最高潮に達する。
急激なギアチェンジはただ単にスピードを上げるだけではなく、今度はカミナリに憑依して、音速でこの日の旅の終盤戦を駆け抜ける。歌詞の通り客席は「全開」で盛り上がる。
勢いそのままに14曲目「御免ライダー」(2002)はダンスナンバーというと語弊があるかもしれないが、アップテンポで飛び跳ねるような曲だ。
今度は「フェラーリより速く、流星になって駆け抜ける」。
そして続くのが「最強のこれから」(2010)。
再びゆったりとしたビートに戻るが、いよいよLIVEの終わりが見えてきた。
「最強のこれから」って一体なんなんだろう、つい思いを馳せる。
森を抜けて、山を越えて、海が見えたら、そんな行く末をこの曲で歌い、その瞬間には「君」というパートナーがいると教えてくれる。
けれど最も強く、最高のこれからはまだ先。
これからとは未来とも言えるかもしれない。でも未来ははどうなるかわからない、いつだってたみおさんは漠然としていて、具体的な答えは出さない。それはそうだろう、自分で考えて、これから自分で切り拓き、自分で経験するのだ。俺の最強のこれからは…と、やっぱり思いを馳せてしまう。
ラストは「さすらい」(1998)。
「転がり続けて歌うよ」とはあの頃の奥田民生も、今の奥田民生も、スタンスは変わらずそのまま。たみおさんの言葉を借りるならばこの会場にいる人の多くが、自分も含めてやっぱりさすらってたんだなと、たみおさんと僕らがどこかの世界のどこかでクロスすることはやっぱりたしかにあって、道が続いていること、さすらってること、しっかりと時を刻んでいること、今日はそれを確認しにきたんだなと実感した。
「このまま死なねえぞ、さすらおう」って聞けて、またしばらく頑張れる気がした。
この後アンコールでは「解体ショー」(2010)、「快楽ギター」(2005)を披露して幕を閉じた。
もうお腹いっぱい、そして感謝、会場を後にすると余韻に浸る。
シンプルなことを確認するためのLIVEだった。けれどそれがなんと贅沢なことなのか。
帰り道何となく杉山くんのことを思い出す。
イージューライダーはやらなかったけど、今どこで何をやっているかわからない彼にお礼を言いたい気分になった。
そういえばあの時彼が口ずさんだ「大袈裟に言うのならばきっとそういうことなんだろう」って歌詞、未だに気になったままで、その意味はわからないまま。
僕らの自由を僕らの青春を大袈裟にいうのならば……どういうことなのか、答えを知るのはまだ先。
未来へとさらに続いていく道のりのなかで、自分自身の旅のどこかで、きっとわかるに違いない。
そんな風に思うとまだまだこの先が楽しみに思えた。