みどりの日

この日は、初めからみどりの日ではなかったんです。

4月29日の昭和の日、この日は1988年(昭和63年)までは昭和天皇の「天皇誕生日」でした。昭和天皇が崩御された1989年(昭和64年/平成元年)に現在の上皇陛下の誕生日である12月23日が「天皇誕生日」となりましたが、4月29日をなんとか残すために、また、生物を愛好された昭和天皇を偲ぶ意味も込めて「みどりの日」となりました。

ところが、その後、平成19年に、祝日法により『激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす』という趣旨で4月29日が「昭和の日」として制定されましたことにより、5月3日と5日の間の4日に移されました。

5月4日は『自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ』日として、国公立公園の無料開放や、地方公共団体などの各種行事が実施されます。

さて、この「自然」ですが、自然を支配するものであるという考え方でやってきた国々もある中、日本は昔から「共生」という考え方で歩んできた国です。

特に、国土の70%以上を山地が占める日本列島では、「緑豊かな」山林を濫伐したり放置すれば、河川の流水調整ができなくなり、渇水や洪水に襲われる危険があります。

そこで、保全対策として、大正のはじめ頃に「国土緑化運動」が始まりました。具体的には、宮中で神武天皇祭の営まれる4月3日を「愛林日」と名付け、毎年全国的に記念樹が行われてきました。

ついで、戦後間も無く、戦争中に失われた緑を回復するため、「森林愛護連盟」「国土緑化推進委員会」が設けられ、その植樹行事に昭和23年から昭和天皇・皇后両陛下の御臨席を仰がれたとのことです。

さらに同25年、同会と山梨県の共催で、第1回の「全国植樹祭」を開き、ご臨席の両陛下が「森」の字をかたどって3本の苗木を植え、また苗床に種子を播かれたのです。

また、昭和52年秋からは、かつて植樹祭が催され、お手植えの樹木の生育したところで、皇太子・同妃両殿下を迎えて「全国育樹祭」が開かれるようになりました。まさに、春と秋、天皇も皇太子も自ら率先して、国土緑化に努めて来られたのであり、それが平成に入ってから同様に続けられてきました。

日本は自然と共生する国として、これからも歩んでいかなければなりませんし、それには、やはり、我々、国民一人ひとりの努力が必要になってくると思われます。

最後に、昭和天皇のエピソードを紹介して終わりにします。

長い間、昭和天皇の侍従長だった入江相政さんが、「宮中侍従物語」という本で書かれています。

それによると、天皇が住まわれていた御座所の庭を「広芝」といいます。
この広芝はキジやコジュケイなど野鳥がたくさん飛んできて、天皇もお気に入りだったということです。

が、いかんせん広い庭であるだけに、あちこちから草の種が飛んできて夏になるとすぐにボーボーになってしまっていたようです。

ある、戦後すぐの夏のこと、天皇皇后、両陛下が夏休みのために那須の御用邸か下田にいらっしゃって、秋口にお帰りになる予定がありました。

このとき侍従たちは、お帰りになって草がたくさん茂っていたらお見苦しいだろうと、この広芝の草を刈ることにしました。

しかし戦争直後のことでもあって草を刈る人手が足りず、陛下がお帰りになった時に、入江さんが「真に恐れ入りますが、雑草が生い茂っておりまして随分手を尽くしたのですがこれだけ残ってしまいました。いずれきれいに致しますから」とお詫びをしたそうです。

すると陛下は、いつもは侍従たちには穏やかに接しておられるのに、このときはいつになくきつい口調で、

「何を言っているんですか。雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるのです。どの植物にも名前が合って、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一夫的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃったそうです。

いかがでしたか。

この昭和天皇の想いは当然、その後の天皇、現在の上皇陛下、今上陛下に受け継がれています。

天皇陛下やこれまでの日本人が大切にしてきた自然との共生という考え方を大切にし、あらためて、その恩恵に感謝する、そんな1日にしたいなあと思います。

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