『7つの習慣』との出会い

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一般社団法人 The Global Leadership Impact Fund Japan代表理事に就任したこのタイミングで、私の『7つの習慣』との出会いからこれまでを何回かに分けて綴ってみたいと思う。

そう、その出会いは偶然だった。何気なく立ち寄った書店にその本は平積みにされていた。

当時、自分を変えたくて、いわゆる自己啓発成功哲学と呼ばれる本を片っ端から読んでいた。読んでは大切なところをノートに書き写し、実践する、といった日々を送っていた。

当時、教員としては7年目。初任校から異動し、2校目の勤務。学級も部活もうまく指導していると思っていた。いや、思い込もうとしていたというべきだろうか。

異動してすぐ、部活動の保護者から、それも男子部員の保護者から吊し上げを食らった。

学級では、自分が卒業させた子が遊びに来たのだが、その子が友達の保護者の言葉をわざわざ私に伝えに来た。「先生、○○ちゃんのお母さんが、いい気になるなって言ってましたよ」と。

ショッックだった。

何がショックって、その母親がそういうのも無理はないと思った。そのことではない。教え子がその母親の言葉を、なんの躊躇もなく、担任だった私に伝えたのだ。学級経営失敗だと思った。

当時、私は意気揚々とやっていたのだが、ガツンとやられる連続だった。

幸い、自分にベクトルを向けることができたので、自分というものを創って行かないと、この先、とんでもないことになる、そう思った私は藁をもすがる思いで、自分を変えてくれる何かがないかを探していた。

そんな時に出会ったのが『7つの習慣』である。

その書店に入った瞬間、平積みになっている一番上のこの表紙が目に飛び込んで来た。

どんな本だろうと思って表紙を開き、目次のところを見ていったところ、はじめに目に飛び込んで来たのが信頼残高という言葉だった。

え⁉️信頼残高⁉️

信頼という言葉は知っている。残高って言葉も知っている。しかし、それを組み合わせた信頼残高って言葉は知らない。どんな意味だろうと思い、すぐにそのページを開いた。

第三部の「公的成功」のはじめにそれは出てくる。

信頼口座つまり信頼残高とは、ある関係において築かれた信頼のレベルを表す比喩表現であり、言い換えれば、その人に接する安心感とも言えるだろう。礼儀正しい行動、親切、正直、約束を守るなどの行動を通して信頼残高をつくっていけば、そこに貯えができる。残高を高めることによって、必要とあらば、その信頼を何度でも頼りにすることができる。些細な間違いを犯しても、信頼のレベルや精神的な貯えがそれを補ってくれる。(中略)しかし、無礼な態度を示したり、相手の話に途中で口を挟んだり、あるいは過剰反応をし、相手を無視し、自分勝手に振る舞い、相手を脅かし、相手の生活をこちらの意のままにしようとするような行動が日頃から見られれば、ゆくゆくは信頼の残高不足を起こし、硬直的なコミュニケーションしかできなくなってしまう。

信頼をお金に喩える考え方に度肝を抜かれた。背中がゾクゾクした瞬間でもあった。この時の衝撃は今でも覚えている。

「これは今まで出会った自己啓発の本とは違う。本質的なことが書かれているようだし、読んでみるに値する一冊だと思う」と感じ、すぐに購入。家に帰ってからすぐに読み始めた。

さらに、衝撃を受けたところがある。

偉大な教育者だったホーレス・マンは次のように表現している「習慣は太い縄のようなものだ。毎日一本ずつ糸を撚り続けると”、やがてそれは断ち切れないほどのものになる」。個人的に私は、この発言の後半には同意できない。なぜなら、私は、習慣は断ち切れるということを確信しているからだ。習慣は学ぶことも、変えることも、捨てることもできる。

ここまでだったら、さほど、衝撃は受けなかっただろうし、読むのをやめていたかもしれない。しかし、最後の一文に衝撃を受け、7つの習慣を本格的に学ぼうと思ったのである。それは

しかし、それは応急処理だけでできるものではない。きちんとしたプロセスと強い決意が必要なのだ。

それまで、私が読む自己啓発の本といえば、「願えば叶う」的なものが多かったように思う。(私の読み取り能力も低かったのだと思う)

ところが、コヴィー博士は、あまりにもはっきりと良い習慣を身につけるのは容易ではないと書かれているのだ。

第1の習慣に入る直前にも

これらの習慣を勉強するにあたって、変化と成長の扉を開けるよう心からお勧めしたい。自分に対して忍耐強くあってほしい。成長のプロセスは行きづまりやすいものだ。自己改善の領域に入ることは、まさに聖地ともいえる神聖な場所に足を踏み入れることである。しかし、これに優る投資はない。

と、仰っている。

「やっぱり、そうなんだ。自分を変えるってのは努力が必要なんだ。これなら自分を変えられるかもしれない。よし、これをしっかり学んでみよう」

それから、しばらくの間、7つの習慣を理解するために、本を読んではパソコンに本文をそのまま入力するという、とんでもない作業を始めるのであった。それくらい、本気で7つの習慣と向き合おうと思ったのである。

それが、私と『7つの習慣』との出会いだった。今から24年前の平成9年1月のことだった。

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