安く売ることは必ずしもいいことではない

当社はコミュニケーション力を重要視しております

私の妻はCall of Cthulhu (CoC)というTRPG(テーブルトーク・アール・ピー・ジー)を夜な夜な遊んでいる。TRPGといえば古くはソード・ワールドやアリアンロッドといったものが有名で、ルールブックに則ってシナリオを作るか、そこらへんの通販サイトで販売されているものを購入して、持ち寄ってみんなでワイワイ遊ぶ類のゲームだ。

私も富士見書房から出ているTRPGリプレイを何冊か購入したことがあるのだが、参加者の個性とシナリオが組み合わさることで無限の楽しさが生み出される性質のもので、確かに電子的なゲームではここまで自由度は高くはできないし、同じシナリオでもいろんな楽しみ方ができることは想像に難くない。その楽しさをみんなと共有できることもさらなる嬉しさを生み出すのだろう。

今はTRPGの参加者募集をするコミュニティがネット上にあるらしく、そこで意気投合した人たちであらかじめ予定を決め、当日はDiscordのボイスチャット機能などを利用して画面越しにセッションを行なうのが通例だそうだ。

しかし、コミュニケーションが全面に押し出されたゲーム性ゆえに、トラブルは少なくない。性格の不一致による喧嘩が起きたり、突如キャンセルが発生したり、のらりくらりと予定が決まるのか決まらないのかわからない状態を続けたり、お気持ちが爆発して強制終了したりといった具合だ。妻から聞く限りは。

そして今日も妻から「界隈でシナリオライターが燃えている」と教えてもらったのだが、要点だけかいつまんで説明するとおおよそ以下のようなできごとがあったようだ:

  1. とあるシナリオライターの販売者が約1年前に「これが最後の機会です」と完全引退を宣言。シナリオを1部1,000円で販売し活動終了

  2. 最近になり活動再開。どうしても届けたい人にシナリオを届けたかったと説明し、同シナリオを1部150円で販売開始

  3. あまりの心変わりと値段設定に非難轟々

  4. 非難を受けて再販停止

みんなの意見

いくつか関連ワードで調べたところ以下のような意見が見られた。

「閉店セールで最後だと思ったから購入したが期待を裏切られた」
「法律に抵触するのでは?」
「1,000円のときに買ったファンへの配慮はないのか」
「再販してくれているんだから余計なことは言わないで欲しい」
「嘘をつかれた気持ち」
「承認欲求を抑えきれなかった」

ははあ、なるほどみんな怒ってるなあ、いろんな意見があるなあと思いつつ、とはいえ、明示的になにが問題かについて言及しているポストが見当たらなかったので、今回はその理由について持論を述べてみる。

そのとき価値を感じたから買ったのではないか?

例えば家電量販店で買ったものが翌日在庫処分セールで50%になったらどうだろうか?そのときに価値を感じたからそれだけの金銭を支払ったのであって、悔しくはあるものの得をしなかっただけであり、損はしていない。

また、見えにくいが時間の要素も絡んでくることに注意したい。例えば今日買うということは、明日以降の適当な日ではなく今日手に入れることにその価値を感じているのである。したがって、1,000円のときにシナリオを購入した人たちが、150円になったことに対して安く手に入る未来があったことに憤るのは間違いだ。なぜなら当時1,000円で購入したことに納得をしているはずだし、再販までの1年間は「あの販売終了したシナリオ」を遊べるという時間的にも立場的にも有利な状況が得られているのだから。

購入意欲を煽っているし、信頼を裏切ってもいる

もちろん、完全引退で機会が永遠に失われると聞いたので、それが1,000円の価値のいくらかを占めると思うんです、という意見は否定できない。

人間は行動を制限されると、自由を求めるためにそれに反発したくなる性質を持っていると聞いたことがある。つまり期間限定などと表示することによって購入意欲を高めることができるというのだ。確かに最後の機会だと言って販売したことはそれで終わったのならば、販売者もいくらかの金銭と賞賛を得られ、購入者も労いの気持ちを含めてよい買い物ができたと思えたのかもしれない。

しかし、この期待は裏切られてしまった。人にはそれぞれ事情があり、その時々で判断を下しているので、一度引退宣言したから撤回は絶対するなとか、引退してから復活するなとは言えないし、そこを追及してもなんら生産的でも建設的でもない。なので、問題があるとすれば活動再開したことに対してそれなりに落としどころとなる理由を提示できず、事実上閉店セール商法になってしまったところではないだろうか。

欲しいものは手に入っているのになぜ?

事実にだけ目を向ければ、現時点でこのシナリオ販売の問題は次の3状態のどれかに収まるはずである:

  1. 1,000円でシナリオを購入した

  2. 150円でシナリオを購入した

  3. シナリオを購入しなかった

あなたがシナリオが欲しいと仮定した場合、3はどうしても避けたい状態で、2を選ぶことが経済的に見て最善の状態のはずだ。1は2ほどよくはないが最悪の状態を回避できている。

あなたが1, 2のどちらかの状態にあるならば、欲しいものが手に入っているので問題ないのではないだろうか?これだけ見れば1,000円で購入しようと150円で購入しようと勝利を得ている。さらに1,000円で購入した場合には、優越感を持ちながら遊ぶこともできているのだ。販売側からしてもシナリオを再販したことは、新たにシナリオで遊べる人を増やすことができ、さらに安価で提供できているので、新規購入者は嬉しいことこの上ない。

しかし、シナリオの価値の視点ではどうだろうか?再販によって「あの販売終了したシナリオ」を遊べる優越感はなくなってしまった上に、その価値は150円に下がってしまった。しかもコミュニティが価値を下げてしまったのではなく販売者自らの手によって否応なく下げられてしまったのである。おそらくほとんどの人はこの点に怒りや落胆を感じているのではないだろうか。

なぜ150円なのか?

私は再販するにしても1,000円で販売すべきであったと考えている。価値の低下を防ぐこともできたし、なにより儲かるからだ。巷のお店の値下げというものは無策でやっているように見えるのだが、初動が落ち着いたから新規流入を獲得するため、ほかの商品と一緒に買ってくれる機会を増やすため、などとちゃんと理由がある。件のシナリオは再販が望まれていたという話なので、それが本当であればなおさら下げる必要がない。

推測にはなるが、TRPGが持つ人とのコミュニケーションの楽しさという魔力を打ち払うことができず、さらにシナリオライターとしての賞賛も得たいがあまり、復活祝いの気持ちも込めてお得な150円という奉仕価格を設定してしまったのではないだろうか。そしてそれがどう捉えられるかに対して思慮が少し浅かっただけなのだ。

すぐに法律を持ち出すことは正しいとは言えない

景品表示法違反ではないか?という意見も見られたが、確かにそうかもしれない。ただそれを持ち出して最終的に相手方になにを求めたいのだろうか?まさか無制限の謝罪や追及ではないだろうと信じたい。

会社に勤めていて、会社が労基法違反しているとか衛生環境に問題があるとかそういったことに対して法律を盾に対抗措置を取ることはみんなの利益や社会的な正義のために喜ばしい行動であるが、私が怒りを感じたからといって最初から法律を使って叩きのめしたいというのはあまりにも一方的であるし、それが罷り通るようなコミュニティであれば、ディストピアはそう遠くない。

まず必要なのは相手方との対話であり、一旦冷静になって自分がどこに問題を感じていて、相手になにを求めたいのかを明らかにできれば、自然と落としどころも見つけられると思うので、そういったことから始めても遅くはないのではないだろうか。




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