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忘れたい記憶と忘れられない記憶

こんばんは。

最近はずっと布団の上で過ごしています。

前回の投稿を見返すと、気持ちを全面に、少し感情をそのまま吐いてしまった文章になっていました。

過去の出来事って、嬉しいこととか、楽しいこととか、幸せなことって、凄く鮮やかな記憶になりますよね。

反対に辛かったり、悲しかったり、悔しかったり、憎かったり、、、自分の心が悲しくなるような記憶って、月日が経ってもずっと悲しいままの記憶になってしまっていました。

夜になるとフラッシュバックしたり、あの時こうしてたら今はこうではなかった、とか、もっと幸せになれてたとか、、、、本当にキリないなって自分で思ってても、気づけばそんなことに超時間を費やしてしまっています。

前回の投稿では、そんな私が悲しかったり、憎かった人達が写っている写真を消したということを書きました。

今日もまた、その時の記憶をフラッシュバックさせてしまって、インスタグラムのストーリーのアーカイブを見ました。

インスタのストーリーのアーカイブは残っているので(消せない為)ひとつひとつをみかせしてみたら、以前は仲の良かった私に酷いことを言った人や憎い人が沢山私のストーリーに載っていました。

でも、不思議なことに、その人たちを見ても憎い、悔しいって思わなかったんです。逆に、懐かしい、戻りたいって思っていました。多分、その人たちが笑顔だったり、笑い声が入っていたからかな、、?

その人たちとは最終的には嫌な記憶で止まってしまっているけれど、思い返せば途中までは爆笑して、ふざけて、なんだかんだで大学生楽しんでいたんだなって思いました。

でも、その反面、友達に合わせて笑いながらも、傷ついたり、悲しい気持ちになって涙をこらえていた瞬間があったんだな、って思うと、なんだか更に悲しくなりました。これは、憎いとか悔しいじゃなくて、ただ、なぜか、ただ悲しいです。

これは、過去を受け止めることが出来たから悲しいのか、まだ傷が癒えなくて悲しいのか、、、

そうゆう記憶って、複雑ですよね。

悲しくて辛い記憶の何万マイル下には、楽しかったり、嬉しかった記憶があるんですもん。

本来ならば、ズット楽しかったり、嬉しかったり、幸せだったり、、そんなプラスの思い出ができるはずだったんだな、、、と思うとまた悲しくなります。

わたしは人を嫌うことが好きではありません。以前は苦手な人はいたけれど、嫌いな人はいませんでした。

人って、どうしても環境とかで変わってしまうけれど、それもまた悲しいですよね。私自身もそうだし、嫌な記憶の中にいる友達も、可愛かったり楽しかったり好きだなって思った記憶があるのですから。悲しくなります。

今一緒に住んでる私の大切な家族からしたら、私は毎日ベットの上にいてスマホをいじって、、っていう生活を見ているから、本当に呆れてると思うし、私の将来をとても心配していると思います。

親に心配させるのは私も悲しくなるけれども、今、こうやって思う存分まだ寝るのかっていうくらい寝て、ごろごろしてスマホをいじっている瞬間も、過去の記憶を受け止めて、前に進む為に整理しているつもりなんです。

私は傍から見たら幸せな人間なんだと思います。家族はちゃんといるし、友達もいるし、自分が行きたい大学に行かせてもらえたし、、、

だけど私から見たら私は幸せではありません。私自身そう思いたくないけれど。

今は幸せだと思えない。

だけど、幸せになりたい。

きっと、今この投稿を読んでくださっている方も、全世界に住んでいる人々がそう願って今を生きているはず。

私もその1人として、自分が納得できる幸せになりたい。

だから、時間はとてもかかってしまうし、自分でも自分がわからなくなる時もあるし、家族には寝てばかりで怒らせてしまう時や心配させてしまう時があるけれど、もう少し、時間をください。

いくら時間があっても解決できないこともある。もしかしたらこの今の私も解決出来ないかもしれない。逆に何も考えず目の前のことをやっていった方がいつの間にか忘れているかも??

そう思う時もあるけれど、思い出してしまって、辛くて動けないんです。からだが。

自分に甘えているのかもしれないけれど、私自身が本当に辛いので、もう少し時間をもらって、春には前を向いて就職できているといいな。

そう願って、楽しかった時よく聞いていた音楽を聴いて今日もいい夢見たいと思います。

明日は朝早くのバイトだから、お風呂に入って早く寝ないと。

皆さん、本当に今は辛いけど、いつか乗り越えられますよね?

いつか幸せになれますように。

おやすみなさい。

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