![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153775349/rectangle_large_type_2_2ed735add959019f12773b23e44eb165.jpg?width=1200)
良くも悪くも推すのは「勝手」
おはようございます。
週初めから頑張っているみんな、とってもえらい。
お休みでゆっくり休めたあなたも、
夜勤明けのあなたも、えらい。💮
今日は「オタクの在り方」についてお話させてください。
題名を見た方はびっくりした人もいるかなあ。
コンカフェ嬢が、しかもひとつ前の記事までアイドルが推されることは〜とか推してることに誇りを持っていて〜とか言ってた人間がこんなこと言うのか!?と。笑
今回はオタク側の意見と、推されるキャストとしての意見をどちらも深掘りして書かせてください。
まず。すごく大前提としてオタクは「勝手に推している」訳です。誰に頼まれた訳でもないはずです。
義務ではありません。
私はオタクなので、「義務でオタクをしている子、人」を沢山見てきました。
毎公演行ってるから、行かなきゃ。
本人の為にチケットを買わなきゃ。
「会いに行かなきゃ」。
これって、この感情が生まれた時点でオタクは終わりだよなと思っています。超!超!個人的な意見ですが。
「会いたいから会いに行く」
「好きだからグッズを買う」
「好きだから無理してでも時間を作る」
この気持ちは痛いほどよくわかります。時として自分を犠牲にしてしまうのがオタクです。
ただ、それでも幸せならいいのです。
でも、「しなげればいけない」という義務感を感じた時点でそれはもう好きではないと思うのです。
誰かに脅されて、オタクをしているはずでは無いはずです。
辛い気持ちがずっと続くのなら、それはもう好きではなく「執念」なのです。
また、話が少しズレますが義務感では無いし、オタクは好きでオタクをしているのです。
もちろん支払った金額や、使った時間に対しての正当なサービスは受けるべきだと考えているし、それを提供できない「推し」はあまりいただけないな、と思います。
ただ、サービス以上の何かを受けようとするのは「オタク」ではなく、強欲でしかありません。
オタクを名乗るのは間違いなのではないかとも思います。
例えば、ライブチケットを買ったとしたら最高なパフォーマンスを提供してもらうことが正当なサービスです。
ファンサービスは+αの付加価値であって、このファンサービスを貰うことをメインに現場に行くようになってしまってはいけないと、オタクの私は思うのです。
ただ私はコンカフェキャストである意味「演者」に限りなく近い存在でもあるわけです。
ななせが提供できるベストのサービスはいつでも提供できる存在であるべきだと考えています。
前記事で書いたように、付加価値の為のエンタメを届けることは勿論あります。
推してくれるみんながいるから、ななせがななせでいられる訳です。それを念頭に置いています。
ななせがみんなから貰った愛は、ななせが返せる形で返したい。
だから、ななせは「束縛」をしないのです。
他のところに行かないで、私だけ見ていて、1番にして。
この発言は義務感を産む言葉だと思うし、この言葉を演者が使って責任を取れるのか?
私はそう思ってしまいます。
「ななせ」としての幸せを届けることは出来ても、それ以上を平等に届けることなんて不可能なのです。
楽しい場所で、楽しく過ごして欲しい。
私は私をみつけて推しに選んでくれた人に笑顔でいてもらいたいのです。
無理をして欲しいわけでも、辛い思いをして欲しい訳でもない。
私が引き止めずとも、「会いたい」「好きでよかった」「ななせが1番!」と思って貰えるような、そんな存在でいれるように、演者やキャストは努力をするのです。
何もしないで愛されようだなんてそれは怠慢だと、キャストの私は思うから。
と、まあ今日はだいぶ掘り下げて読む人を選ぶ内容を書いてしまいました。笑
あくまでこれは私の意見で、正解でもなんでもありません。
「好き」や「推す」という感情は良くも悪くも勝手なのです。勝手に好きになって、嫌になったら勝手に離れていくだけでしかない。
演者はそれを踏まえてどうしたら束縛せずとも自分がベストだと感じてもらうのかを考えるべきだと私は思います。
今日はこの辺りで締めようかな。
心がふたつある〜〜〜〜〜〜〜〜〜!()