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"ことばじゃなくて、してくれたことで、あの花を見るべきだった。"

ぼくはあのころ、なんにもわかっていなかった!ことばじゃなくて、してくれたことで、あの花を見るべきだった。あの花はぼくをいい香りでつつんでくれたし、ぼくの星を明るくしてくれたんだ。

私の大好きなサン=テグジュペリの『星の王子さま』の中の言葉です。わかっているはずなのに忘れてしまう大切なことを児童書は教えてくれます。

(『星の王子さま』に関してはいろんなものが比喩されていて、児童書以上の政治的なことも書かれているとは思うんですけど、それはちょっと私の頭には難しいのでいつも素直に読んで素直に受け取ります…)

"言葉の力"と"言葉の奥にあるもの"について考えたいと思ったので、ここに記しておきます。


高校の頃から現代文も英語も、物語ばかりが得意で、古典もすごく好きでした。

言葉にはものすごい力があると信じています。

(感性豊かな人にも憧れがあります。ありふれた日常の風景も素晴らしい感性を持った人の言葉で描かれると、どこか懐かしいようななんとも形容しがたい思いを抱かせてくれますよね。)

離れている友人を励ますことのできるのは言葉のおかげです。

会えない恋人に愛を伝えられるのも言葉のおかげです。

表情に出すのが苦手な人にとっては、言葉はものすごく便利な存在ですよね。


でも、王子さまは言っています、"ことばじゃなくて、してくれたことで、あの花を見るべきだった。"

王子さまは"花"のことを愛する気持ちを大いに持っていました。

しかし花は気難しい見栄を張って、その高飛車な態度ゆえに愛想を尽かされてしまった…その奥には王子さまへの愛情があったのに。

「わたし、ばかだった」とうとう花が言った。「ごめんなさい。幸せになってね」
「そうよ、わたし、あなたを愛してる」花が言った。「知らなかったでしょう、あなた。わたしのせいね。どうでもいいけど。でも、あなたもわたしと同じくらい、ばかだった。幸せになってね……」

そう言って花は、王子さまに去るように急かします。涙を見せたくなかったから。

別れの挨拶がいじらしくて胸が苦しくなります…


言葉はすごく便利な媒体です。"言霊"という言葉が存在するほど、力を持っています。矛にも盾にもなります。

だからこそ使い方を間違ってしまうと、取り返しのつかないことになりかねない。

でも私には、"花"の気持ちもすごくわかります。うまく自分を表現できない。愛して欲しいのに素直になれない。強がってしまう。

私自身、メンタルが弱すぎるので自分を守るために強い言葉を使ってしまうことがよくあります。それくらい言葉には攻撃力があると思っていて、だからこそ注意して使わないと、自分自身を誤解されてしまうこともあると思います。

思いを言葉にすることによって、その思いが"存在"していることが明らかになってしまうので、言葉にするのが怖いなと思い、半年以上つけていた日記を何度かサボってしまったこともあります。

一度言葉にすると、それがステッカーのように貼り付いて、何度も何度も反芻して刺さってしまう感覚。

言葉に頼りすぎてはいけないんだな、と思いました…

よくTwitterで女の子が"100回の好きという言葉より、1回会いに来てくれるほうが良い"という旨をツイートしてるのを見かけます。(笑)

でもこれってすごく大事なことだな、と…

ただ私は意に反して、言葉で盾を作り、矛で攻撃してしまう、そんな不器用な人の言葉の奥にあるもの、それに気づける人間になりたいなと思いました。(あれ?日記?)

まとまりはないですが、私の感想なのでいいやということで。

おやすみなさい。

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