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ひとり旅日記スロベニアとクロアチアへ21日目:世界遺産スタリ・モストを見るためだけにモスタルに来た

2019年1/15モスタル→ドブロブニク

6:30amに起きて、朝のモスタルの景色を見ようと日焼止塗って、持参したみかんとリンゴ食べて出掛けた。良かった。昨晩の霧はすっかりなくなってる。歩いて10分程で旧市街の入口に着いた。ここからはモスクがあって、この先は丸い石が敷き詰められた道に変わった。建物の屋根の瓦が面白い。アルベロベッロみたいに、石が何枚も重なってる。

更に進むと、あぁ!これだよ。これ。これを見る為にここに来たんだ。スタリ・モスト。1993年ボスニア内紛時に壊されたこの橋を、民間人、各国、そしてユネスコの支援で復旧され、平和を祈る橋として蘇った。世界遺産検定1級テキストで良い写真だな。と思って、行ってみたかった所。日帰りツアーじゃなくて、自力で来た。この橋を見る為に。

朝、この世界遺産の橋を貸切で楽しむ。澄んだ空気をたくさん吸い込む。橋の下の川の流れの音を聴く。テキストの写真の実物を存分に味わいたいと思った。毎度思うけど、いくら4K8KのTV映像が美しくなっても、それは鑑賞という事に関しては満足かも知れない。でも、この空気感、そして周りに未だに残る内紛後にそうなってしまったであろう廃墟を感じる事が、この橋の美しさだけではなく、この橋が経て来た歴史をより強く実感できると思う。

各国が復旧にいくら支援したのかを伝えるパネルを見て、歴史的建造物を他国も守ろうと助けてくれて、この橋を再び見られる様にしてくれた事に感動して、うっすら涙した。ありがとう。

9時の朝食まだ時間がある。階段で河原に下りて、下からのスタリ・モストを写真を撮る。この川、透明で綺麗。また上に戻って進むと小さいスタリ・モストが。ここも復旧された箇所との事。坂を上り、また違う場所から川の方にアクセス。側には廃墟。1993年から廃墟だとしたら、26年放置か…。川の側でなかなか良い場所だけど、誰も引き取らないのかな?もしくはあえて残してるのか?

ここからも写真を撮って元来た道に戻ろうとしたら、”Hi”と声を掛けられた。首からID下げてる。ガイドだろう。朝っぱらからよくもめざとく観光客を見つけたな。「どっから来たの?」「知らない(日本語で応答)」こういう時はエーゴわからないフリが一番。まだなんか言ってたけど、ムシして早足で去った。ガイド料ないから。

宿のおばさんおススメの、スタリ・モストと並行にかかる橋へ。ここからだとよく絵葉書になってる写真撮れるとの事だったが、スタリ・モストが遠くて小さい…。ズームで調整。自分的にベストショットは河原だな。今は太陽低くて陽が当たってないけど、朝食後にはちょうど良い頃になってるだろう。さ、宿に戻る前にバスターミナルでバスチケ買おう。

バスチケ、クレジットカードNG。との事で、ATM操作し始めたら、糞ガキが「朝ごはん1ユーロちょうだい」としつこかった。始めは無視してたが、あまりのしつこさに、ドスの利いた声で「うるせェんだよ(日本語)」とキレて黙らせた。ATMから現金出てきたのを盗られたらマジ殺すわ。さっさと現金をマシーンから取って、バスチケ売場窓口へ。ってか、おつり20KMじゃないの?18KMしか返ってこない。ってか、最初から予約手数料含めた料金案内しろよ💢

宿戻ったら3人組が到着してた。チェコの大学に1学期だけの交換留学で来てて、今月末に台湾帰るから、欧州各地を2週間旅行するとの事。ザグレブ、モスタル、サラエボ、南仏、ベネチア、ローマなどを周るとの事で、「ずいぶん慌ただしいね…」と言ったら「そう。各都市2日くらいしかいられないんだ」と言ってた。男子1人女子2人の3人組。男子が「友達が東京にいて、今雪降ってるって言ってたよ!」「そうだね…。東京は寒いね。でもチェコの方が寒くない?」「欧州はどこもこん感じだね」台湾は暖かいもんね。彼らは身支度して橋に向かうとの事。「またね〜」

アルゼンチンのカップルもサラエボと言ってたけど、そこには世界遺産あんのかな…。もしやこの旅、ドブロブニク6泊でボーッとして場合じゃなく、この宿からサラエボも行けたんじゃん?とか思った。仕方ない。ユル〜イプランでしか行程作ってないんだから。

9時。宿のおばさんが朝食を用意してくれた。デッカイ卵焼き…。卵何個使ったんだろう。って事は、今日アパートの冷蔵庫にある卵減らないじゃん!買ったものの消費が狂うが、仕方ない。朝食を完食し、カップルとしばらくこの国のクイズ番組を一緒に観て、テキトーに3択選んでみてウケた。宿のおばさんが片付けに来たから、宿代支払い。鍵の件も聞いた。荷物はバスターミナルに行くまで置いといて良いとの事。

「私はフツーのホステルじゃない、泊まる人も家族みたいなホステルを心掛けてるのよ。あなたは今回短い滞在だったけど、また来なさい」そう言ってハグしてくれた。まるでモスタルのお母さん。たった1日、いや、ほぼ半日の滞在者を本当に優しく迎え入れてくれ、温かくもてなしてくれた。日帰りツアーが流れて良かったのかも。ドブロブニクはひとりアパートだから、誰かいる、話すってのは、やっぱホステルって楽しいよな。と身にしみて思った。

10時。第2ラウンドで、再びスタリ・モストへ。陽が昇って、人通りも多くなって、それに伴いジプシーもかなりいた。旧市街に行く道で、小さい女の子がかなりしつこくつきまとって、地元のマダムがお金あげてた。子連れのお母さん、ひとりで物乞いしてるおばさん。って、欧州って女の物乞い多くね?クロアチアには全くいなかったけど。ブダペストもジプシー多かったけど、こんなにしつこい子供の物乞いは今まで見た事ない。アジアにはいたけど。土産物屋などのお店も開きだした。お店が開くと観光地っぽい。トルコでも見たようなお土産が並んでた。

太陽がちょうどスタリ・モストを照らしてる。朝と同じく河原から写真撮ろう。橋を渡って、一旦旧市街を出てまた朝同じ場所へ。ウザイガイドいなくて良かった。青空に白い橋。美しい。何度見ても。平行する橋に行こうとしたら、台湾の3人組とすれ違う”Hi!” “Hello!”と挨拶。写真撮って、あとは歩いてない道を歩いてみよう。

ぶらぶら歩く。店に入ってみる。そうだ。昨日バス一緒だった女の子が持ってたdmのエコバッグ欲しい。dmに入ってレジの脇に置いてあるエコバッグを一つ手にとってみると、なんと!モスタルという文字とともにスタリ・モストのイラスト。メッチャ可愛い!一目ボレ。お買上げ決定。スーパーに入ってみる。そういや宿のおばさんはチェックインの時に、「ここは物価が安いからわざわざクロアチアから買い物に来る人もいるのよ」と言ってたのを思い出した。本当ですか?

今日の朝食にも出てて、スロベニアの屋台でもついてきたパプリカソース。買おうかどうか迷ったが、メイドインボスニア・ヘルツェゴビナとラベルに書いてあったから買おう。パンに塗っても、卵焼きのかけてもおいしかったから。そして、お茶とロクムも。ロクムはトルコ製と思ったら、これもボスニア・ヘルツェゴビナ製。しかも小さい箱で100円以下。トータルの会計が4.4KM。1KM=4クーナ=80円。ってことは?350円位??確かに安い…。

本当はどこかの入場観光しようと思ったけど、50KMおろして、バス代32KM、宿代15KMで手持ちあと3KMとなった。どーしよ。これ…。って、看板が目に入った。Burek3KM。あ。これ、昨日宿のおばさんがローカルフードと言ってたやつじゃん?お店に入って、「どれが1番ですか?」と聞いたら、「全部」と言われて苦笑。普通は売れてるのを言わないか?ドブロブニクのアイス屋も同じ様な事言ってたけど。「じゃ肉で」他はチーズとほうれん草だった。トルコでも食べた事ないものだから、ローカルフードだと思う。ブレク。240円のわりにデカイよ…。春巻きに大きめの肉が入った感じ。肉単体より、生地(油っぽい)と一緒に食べた方がおいしい。流石に最後のデカイパーツは食べられなかった。ボスニア通貨も使い切ったし、バスの時間もそろそろだから宿に戻ろう。

部屋に置いといた荷物をピックアップして、置き手紙を書いて、鍵も置いてバスターミナルへ。早めに着いとかんと、時間前発車もあり得るからね…。待合室にいた中学生っぽい少年、怪しい。そしてこの勘は正しく、少年もまた物乞いだった。スマホいじりながら、よく人に金をたかるわ!ある女性にはかなりしつこく。若い女性にもしつこく。彼女はキレてた。この国の暗い部分を見た気がする。少年、学校はどうした?休みなの?行かないの?行けないの?

バスは時間通り来ず。でも、12時から待ってるからミスってはいないと思う。近くにいたおじさんにドブロブニクに行くかどうか聞いたら、「そうだ。この乗り場だよ」と言ってくれたから安心した。12時半過ぎにバスは来た。乗り込んだら即寝てしまった。朝早起きしたしね…。

宿に戻ってメールチェックしたら、ドブロブニク初日にモスタルツアー申し込もうとした所からメールが来てた。「明日ツアー催行します」マジか!「もう今日自力で行ってきたので結構です」断りのメールを送った。夕飯は昨日のパエリアもどき。電子レンジないから、大きめの鍋にお湯張って、中に金属製のちょうどいい高台になりそうなものを置き、しばらく放置。うん。うまく行った。この料理、初めて作ったワリに味はホント良い。明日は7:15amコトル行きのバスに乗るから、22時には寝た。


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