見出し画像

社会人で相撲始めてみた。素人相撲大会どすこい名古屋城RAVE 初出場初優勝への道

1. 社会人になって始めるスポーツ

社会人になって始める事は何だろうか。一般的にはゴルフ、フットサル、筋トレ、自転車などではなかろうか。学生時代までは格闘技経験全くなく、ハンドボールとスキーをやっていた私。社会人になって始めた事はなんと相撲だった。気楽にやれるスポーツではないし、始め方も分からないだろう。そもそも、私も相撲をやる事にはなるとは考えてなかった。このエピソードは早いもので11年前。

2.相撲を始めるきっかけ

社会人となり地元を離れ会社の寮に入寮。激務で残業も異常に多く、寮に着くのは深夜。それでも飯が残ってるです。しかも毎週火曜日はカレー。飲み会が終わって帰ってきても食堂に行けば飯があるから、食べてしまう。
気がつくと、10キロ以上太っていた。
普通なら、ダイエット!となるはずが、この体を活かせないかな?何か無いかな?と考えていた。

そんなある日、同期から名古屋城で素人相撲大会があるらしいと聞く。千代の富士で相撲が好きになり、若貴ブームの時には子供ながら相撲をよく観ていた。
しかもその相撲大会の優勝商品は海外旅行!
これは出るしかない。

3.大会に向けたトレーニング

色々調べていると、名古屋城での大会は七月の名古屋場所の前。その前の予選として大須観音でのプレ大会が6月にある模様。
ラグビー部に友人が多くいたので、タックルミットを持ってもらい、自己流で練習。
やみくもに、ダンベルを持ち上げ筋トレ風。
全くの素人で周りに相撲経験者もいなかったので、この程度の準備しかできなかった。
そして大須観音大会を迎える

4.大須観音大会で相撲デビュー

画像1

大須観音の境内で特設土俵が設置され飛び込み参加も可能な形で大会開始。大須商店街も近く観客も徐々に集まり結構な熱気。人生初のまわしを締めてもらう。足が滑って負けるのは嫌だなと思い、対策として松脂スプレーを活用。これはハンドボールやってた人なら誰でも使った事のある滑り止めアイテム。

しかし、これが原因でまさかの事態に。

滑り止め効果が高すぎて、足の裏の皮がズルムケになる事態。

同期が持ってきてくれていた、救急セットの中にセカンドスキンなるものがあり、それをつけてテーピング実施。これでなんとかなった。

なんとか勝ち上がり、ついに決勝戦。

決勝の相手は昨年の名古屋城大会の準優勝者。

四股名は珍宝丸。レスリングのコーチをやっているという情報も。

足も痛かったが取り組みが始まれば特に痛みは感じ無かったが上手く踏ん張れない。

腰が浮いたところを投げられて敗北。

結果は準優勝で本大会の決勝トーナメント進出権を獲得。

5.どすこい名古屋城レイブとは何か

そもそもどすこい名古屋城レイブって何?とい話だが、名古屋大学相撲部(後々大変お世話になるのだが、それはまた別の話)が主催し、名古屋城二の丸広場で特設土俵とステージを設置。DJブースも作り、ライトアップされた中でクラブ音楽をかけながら、日本伝統文化である相撲をするというぶっ飛んだ企画。当時は景気も良くスポンサーもかなり付き、NHKのアナウンサーも実況するなど学生イベントのレベルではなかった。選手は相撲段位を保有しない素人。選手が70名程度参加、観客は2000人も入り、屋台や特設座席もある大盛り上がり。残念ながら景気悪化、名古屋大学相撲部部員減少などの理由も重なり私が出場した以降は名古屋城では開催されていない。

6.決勝戦までの道のり

そんな中、会社の同期後輩上司に声をかけ大応援団を結成し大会に臨む。昔から極度の緊張を迎えると吐き気を催す体質で、突然の様に試合が近づくにつれ、吐き気が襲う。この吐き気を乗り越えると、いい緊張状態に入り自分にとっての最高の精神状態を迎えられる。カッコ悪いがこれが私のルーティンの一つだ。
応援に駆けつけてくれた人にお礼を言いながら軽くアップ。後輩が完璧なサポート体制を引いてくれ、水やタオルなどを隣で常に準備。
予選はラグビーやアメフト、柔道経験者から外国人まで幅広い人達が出場。名勝負もあり会場が盛り上がりをみせる。
ついに、決勝トーナメントが開始。
一回戦。私にとっては本日初めての取組。相手は予選を勝ち上がった強者。気持ちの遅れもあったのだろう、立ち合いが遅れ一気に土俵際まで追い詰められる。ヤバい。このまま負けたらダサすぎる。上司や後輩の前でカッコ悪い姿はみせられない!その思いだけで土俵ぎわギリギリでうっちゃり気味の投げ炸裂。大逆転勝利を収める。
その後は身体もほぐれ、立ち合いから一気に寄り切りで危なげ無く勝利。
無事決勝戦まで駒を進める。

7.ついに決勝戦

決勝戦の相手はなんと、大須観音大会の再来。宿敵?珍宝丸。夜も更けて、真っ暗な名古屋城二の丸広場に作られた特設土俵。ライトアップされた土俵に上がる二人。来賓席には河村市長や名古屋場所前の力士の姿もある。気持ちは整っていた。先回の反省もした。後は勝つのみ。呼び出しを受けて土俵に上がる。
仕切り線で立ち会おうとしたその時、行司から待ったがかかる。「汗を拭いて下さい」汗かきの私は既に何番かとり、汗だくだった。その間が適度に緊張をほぐしてくれた。タオルで身体の汗を拭き、再び立ち合い。
先回は脇が甘く左を刺されて投げられたので、脇を締める事だけに集中。
立ち合い低く入り左の下手を取れた。珍宝丸は右の下手が欲しく、こじ入れてこようとする。
脇を締め下手をガッチリ掴む。我慢比べだ。じりじりと左下手を引きつける。土俵中央で動かない。我慢比べに負けたのは珍宝丸だった。下手を諦め、無理やり右の上手を狙ってきた。
腰が浮いたのを見逃さなかった。その瞬間に右足を大きく開き、下手出投げを放つ。珍宝丸も足腰が強く、すぐには倒れない。更に足を外側に動かして反対の手で頭を押さえる。綺麗な投げが決まった。大応援団は歓喜に沸く。人生で一番の心からのガッツポーズが飛び出した。
見事初出場初優勝を飾った。
その時の四股名が七の輪だ。

8.感動の表彰式

河村市長から直々に表彰状を受け取った。コテコテの作られた尾張弁も懐かしい。優勝商品はタイペア旅行。大応援団にもお礼を行って周り、大盛り上がりの中、DJの音楽に合わせて踊り出す。これがどすこい名古屋城レイブ。
そこから打ち上げになったのだが、当時の上司が「打ち上げ行けないけど、これで労ってやってくれ!」と1万円を幹事に差し出し颯爽と帰宅。カッコいい。こういう男になりたいと感動。

9.まとめ

ひょんなきっかけから、相撲と出会いハマって行く事なった。その後、会社に相撲部を創部する事になるのだが、それはまた別の話。
今振り返るとこれが最強の商社マンを目指すきっかけとなった。その時はまだ気付いてもいないが。
新しい事に挑戦する事は、何より楽しい。
学ぶ事も多い。でも、もう30代だし、遅過ぎるよな。そんな事はない。
始める事に遅すぎる事なんて無い。
なぜなら、残りの人生において今日が一番若いのだから。

長々と読んで頂きありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?