【散文】でもダンロンV3は好きなんだよね【ネタバレあり】
自分はメタフィクションの好き嫌いが激しい方である。特に露悪系。某優しいRPGなんかもオチを聞いて食わず嫌いしてる。
でも「ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期」は好きなんだよね。
自分はゲームのキャラクターに直接責められるなどした場合、どうしても製作側の人間の顔がチラつく。共犯でフィクションという嘘をつくはずの相手に梯子を外されたら、こちらも相応の反応をせざるを得なくなる。どれだけキャラクターという虚構の存在が訴えかけようと、その幻想はすでに崩壊しているので響きにくい。メタフィクションのフィクションが抜け落ちてただのメタになってしまう(上手いこと言えた気がするぞ!)。
翻って、V3はメタフィクションと評されながらもキャラクターがプレイヤーに直接語りかけるといった展開は実は無い。それっぽいのは精々「セーブしますか?→救済しますか?」くらい。
あくまで作中で責められるのはダンガンロンパというデスゲームを楽しむ視聴者、そしてそれを運営するチームダンガンロンパ。プレイヤーや製作陣と重なる(しかし完全ではない)悪趣味な存在を登場させ、それをキャラクターに責めさせることで間接ダメージを与えるという構造になっている。
これがとても絶妙。
無論「プレイヤーに語り掛けるわけじゃないからメタフィクションにあらず」と主張したいわけではない。製作陣も流石に意図しているだろう。しかし、このワンクッションを入れることで露悪メタとフィクションを両立させることに成功している(という整理の仕方を今考えついた)。
ゲームの世界の視聴者はリアル殺人を見て楽しんでいるのだから、見世物でコロシアイをさせられたキャラクターたちの怒りは当然である。心にグサグサと傷を負いながらもその怒りに納得感をもって読み進めていくことができる
だから、エピローグを見終えた時には現実世界のどこかで彼らが生きているのではないか……と思えるほど没入していた。6章の展開は最後まで“メタ”まみれではあったが、最後まで“フィクション”でもあり続けた。
更に言うと、製作陣はキャラクターたちにチームダンガンロンパ、もとい製作陣自身らをも責めさせる。決してプレイヤー(の対場の視聴者)だけを悪者にしない。遊び手に冷や水を浴びせるのではなく、手を引いて極寒の海に道連れにしようとするその姿勢はとてもダンガンロンパらしい。
ダンガンロンパの3作目でこれを出してきたのも相当な手腕だ。2作出たことでシリーズとして認知され、共通点から“ダンガンロンパらしさ”が醸成されていき、「それじゃ次のダンガンロンパは?」と求めるようになる段階。考えれば考えるほど、この展開をするのは3作目以外にないように思う。もしこれが単体のゲームで出ても、これほどまで自分の心は動かされなかっただろう。
3作目を1、2の延長線のゲームにすることでシリーズを長持ちさせることもできただろう。それをせず最後まで全力で駆け抜けてくれたおかげでダンガンロンパシリーズの続編は絶望的である。プレイヤーが精神的ダメージを喰らう傍らで、作り手側は商業的ダメージを負っている。ここまでされると責める気も失せるというか、逆に好意的になってしまう。精神的後継作で頑張っている姿はなんだか微笑ましい。そちらも楽しく遊ばせてもらいました。
適当に書き出してオチも付けない、こんな読みにくい文章を読んでくれてありがとうございました。V3はこの手のテーマが好きなこともあって何かしら記事を残したいと思っていたのでこうしてかけてよかったです。それでは。もしかしたらまた別の記事で。