大阪に魂という忘れ物をしたオタクの戯言
言葉が見つからない
これをいい意味で使ったのは、本当にいつぶりだろうか。大阪の地で、僕はニジガクにありったけの想いをぶつけられた。
僕は
「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 4th Live! ~Love the Life We Live~」で
涙腺を、情緒を、そして膝を壊された。
事の発端はこれ。
ラブクラブというラブライブ系のイベントに参加させて頂いてた最中に当落が発表され、強く美しい音楽を耳にしながら目の当たりにした当選通知。まさかこの時は後に自分が色々とぶっ飛んだ遠征、経験をすることになるとは思いもよらなかった。
実際、ラブクラブが開催される名古屋へは何度も足を運び土地勘もある程度養われていたが、今回ライブが開催されるのは大阪。自分自身、大阪は小学校の卒業旅行として家族と2012年の3月にユニバーサルスタジオへ行ったっきりであった。何を隠そう、関東人の僕がリアルに大阪で寝泊まりするというのが10年振りなのである。
もはや令和の浦島太郎だ。
当日を迎えるのにあたって
僕は当日を迎えるまで正直うろたえていた。
というのも理由は簡単で、今まさに世間を賑わせている567の尾身クロンだ。
小泉萌香さんの陽性(無症状で本当に良かった!)や、メンバーの濃厚接触など、当日を迎えるまで順風満帆とはまったくの無縁であった。
ただ考えてみれば、虹の3rdも今思えばかなりギリギリのタイミングだったなぁと回顧する。東京、神奈川、千葉には例の宣言が出され、街では飲食店で酒すら飲めないフラストレーションのたまる日々を送ることをほぼ強制されていた。
まん防でなんとか事なきを得た埼玉県で開催された3rdは1期アニメ終了後すぐというのもあり、大団円で見事に公演を終えた。
私事ながら、この虹3rdは本気で初めて自力で当てたラブライブ!のナンバリングライブであり、かつアリーナを引くという奇跡を呼び込んだ公演であった。ちなみに未だに3rdのブルーレイは開けられていない。
夢の始まり
話を元に戻すが、情勢的な不安を抱えつつも僕は当日を迎えた。
26日の日勤を終え、新横浜を20時頃ののぞみに乗り込む。
こんな時間に下りの新幹線を乗るのは22年ちょっとの人生で初めてである。
車内では夕食という名の晩酌を済ましウトウトしたり15号車の喫煙ルームで一服したりと有意義な時間を過ごしあっという間に大阪へと辿り着いたのである。
余談かつ、言い方は失礼かもしれないがこの野田駅、コッテコテの大阪を想像したがそうでもなかった。駅の階段は右側通行だったが予約した東横インへの道はそこまでディープではなかったように伺えた。
チェックインを済ませ部屋へ入った僕は、高まる感情やセトリを見たいという思いをなんとか堪えつつシャワーを浴び、酒を飲んで就寝した。
ライブ当日
起床は8時半頃。現地ではまさにこの時刻あたりから当日物販の列が作られ始めていたというから恐ろしい。
Twitterにて情報収集をしながら準備を進め、現地でオタクとエンカ出来たらいいなという淡い期待をしつつ、僕は京セラドーム大阪へと向かった。
イタリアから取り寄せたしずくユニフォームを身にまとい、僕は出かけた。このライブが開催されるまでは日本は気温がなかなか上がらず長い冬だったが、ライブ1日目の2月26日、2日目の27日を経て春へと駒を進めるような気温の上昇になっていた。
果てしない空のむこう ミライへと橋をかけよう
気温の上昇と共に、僕の京セラドームへと進む足は加速してゆく。
現地到着 〜物販〜
現地に着くとなんということだろう。まだライブが始まるまで8時間はあるというのにも関わらず、かなりの同業者が現地には集まっていた。
当日物販を求めている者もかなり多く見受けられ、言葉が適さないかもしれないが地獄のような列が目の前に拡がっていた。
まじか…という落胆と同時に、周囲から聞こえてくる会話やライブに向けてどんどん高まってゆく鼓動が「そうそう、この光景」といった具合に懐かしさや、この情勢前のライブの感覚を思い出させてくれた。
現地到着 〜交わす盃〜
大阪の現地では既に1日目を楽しんでいた面々が僕を待っててくれた。物販を終え向かった西九条にて、横綱という串カツ屋にてエンカを果たし盃を交わす。連れてきた寝そしず子もどこかご満悦そうだ(?)
僕個人としても大阪に来てからようやく大阪らしいものを口にできた瞬間でもある。
567対策も講じながら、会話に花を咲かせる。俗に言われるライブ前の0次会というやつだ。この感覚も本当に懐かしい。
余談だが、この2月27日はPileさんの配信ライブも行われていた。1月に久々の配信ライブを行うと告知が入って歓喜していたが、この虹ヶ咲4thに現地へ行く日とまるっきり被るという日程を直後に知らされ、一気に愕然としたのは記憶に新しい。
可能な限りPileさんを推したいという気持ちから、自分はその串カツ屋の店内にてデジタルチケットを購入し、見れる範囲のライブを見届けた。
まさかその時に「恋する惑星」という曲を聞けるとは思ってなかったので、見事現地の会場へ向かう前に1度目の昇天を果たしたのである。もう何がなんやら…。
現地へ帰還 そして入場
京セラドーム前駅では早速係員を増員して混雑に対応している様子が伺えた。この光景もライブが始まる前のドキドキ感を高めてくれる。
入場から開演、ラストのMCで号泣、そして終演と、本当に「あっ」という間だった。今思えば、開演すぐの栞子、ランジュ、ミアが合流する導入から既に泣いていた記憶はある。断片的なレビューで申し訳ないが、ずっと生で浴びたいと思っていた中須かすみのTO BE YOURSELFは本当に圧巻で、イントロから気力、魂を持っていかれた。魔法少女を題材にした曲との事だがそんなことはもはや関係ない。強い、強すぎる、そして偉い。この曲はえらい。
「弱さがあるなら 認めればいい」
「強く美しく 自分自身であれ」
この一節はライブから時間が経った今でも救いの手を差し伸べてくれるフレーズだ。
そして待ちに待っていた戦いの時。
圧巻、万感の極み。これをアリーナで見届けられた僕は幸せ者だったのだなと実感する。3rdでオードリーを目の当たりにしてから僕の虹ヶ咲を見る目を本当にいい意味で狂わせた前田佳織里、そして桜坂しずくという大女優。推しがずっと決まらなかったアニガサキ1期から、一気に心惹かれた。
僕はこれからもこの大女優を推し続けるだろう。
まさかのアクシデント
こればかりはもう我ながらアホとしか。
何があったか結論から申し上げると、サプライズで披露してくれた「Happy Nyan! Days」という1期アニガサキBD特典曲があるのだが、この曲のイントロで僕は右膝を壊した。
何故こうなったか、まずHappy Nyan! Daysという曲自体がかなりオタクを刺激(意味深)させるのにふさわしい曲だからである。
Happy Nyan! Daysをある程度ラブライブが好きな人に対し簡単に説明すると、「令和のぷわぷわーお」である。
早い話、脳が溶ける。
猫アレルギーの仲良いFFがこの曲を同じく現地で聞いた時に全身をかきむしったという話を終演後聞いたが当時の僕はそれどころではなかった。
鵞足炎という立派な「怪我」をライブにて負ってしまったのである。もう久保ユリカに合わせる顔がない。
直前の曲(もはや記憶が無い)の終了後、次の曲に備え色変えを行っていた僕は、当時としてはむしろ左足の方に疲れを感じており、負担を分散させるべく右半身に体重をかけるような体制をとっていた。
するとなんということだろう、「にゃにゃにゃにゃにゃ^~」というなんとも刺激的なイントロを聞き、俗に言われる床になりかけた自分はとっさに「(いや…ここはラブライブの現場だ…倒れてはいけない…)」という謎の正義感が発揮されたのである。
イントロで正気をやられた僕は右半身に全ての体重が乗り、膝があらぬ方向へと一瞬向いてしまい、すぐに体勢を取り戻したものの右膝は既に感覚を失っていた。その後ライブ中は分泌されていたアドレナリンで痛みを感じることはなかったが、終演しアンケートに答えていたタイミングから凄まじい激痛と戦いながらなんとか会場外へと向かった。
ライブ自体はとても楽しく感動的で、2期アニガサキへと橋をかけるのに最高のライブとなったことは間違いない。ラストのMCも1年分の涙を流したと思われるほど常に泣いていた。ここまでライブで涙を流したのはμʼs FINAL以来だろう。
素晴らしいライブだったのにも関わらず、自身の不手際による負傷や情緒不安定の影響で膝を壊してからライブ中の記憶がほとんどない。
なお、ライブ後にFFのオタクと会い、会場に対し天を指差し仰ぐ写真を撮り、大正のマツキヨで膝用のサポーターを買ったのは覚えている。
必ずこの"忘れ物"を取りに帰るため、4thのBDを買おうと決意した執筆中の僕であった。
膝を引きずる僕へ最高のサプライズ
神様は時にいたずらなことをする。
今回の4thライブのための遠征にデザートのような素晴らしいサプライズが帰りの2/28(月)に起こったのだ。
2泊3日利用させていただいた野田駅近くの寝床を出発した僕は、職場や家族にお土産を調達しようと予定よりも少し早めに新大阪へ向かった。
マダムシンコのロールケーキやたこ焼き味のスナック等を買い込み、新幹線を探す。
「平日だし自由席で事足りるだろう」ということで、僕は自由席の切符を手に持ち時刻を調べた。先述の膝のこともあり、のぞみで新横浜まで向かうという気力は湧かなかった。のんびりでいいからとにかく座っていたい、小田原から乗り換え1回で済ましたい、そういう思いが強くなり、ちょうど始発のこだまがあったのでそれに乗り込むべくホームへ上がる。
するとそこに新大阪の駅名板を写真に収めているライブグッズを持った青年2人が目に入った。
僕は興味本位で2人に「ライブの帰りですか?お疲れ様です!」みたいなことを声掛けたような記憶。
2人はすぐ反応してくれて、軽くライブの感想を話した。すると、1人のしずく推しの青年が僕の顔を見て「えっ、なぐだよね?」と返答をくれた。
僕はというと、かれこれこの界隈でもうすぐ丸7年になりそうなくらいの期間を"なぐ"という名で活動させていただいているため、「現場で知り合った方かな?」と思い思わず僕は敬語で「そうです、なぐです〜」と軽く返してしまう。
直後にその彼から「俺だよ、○○(本名)だよっ」と聞き、小学校時代の同級生だったことを知る。
大阪という地で、それも小学校の卒業以来、中高大とそれぞれ全く違う道を歩んでいた友人に再会するという凄まじいサプライズを神様は用意してくれていた。
実はその彼は何年か前のスクフェス感謝祭にも参戦しており、交換していたインスタのDMに連絡をしてくれてその時にやりとりをしていたのだが、思い出したとはいえほとんど忘れてしまっていた。
そして偶然乗り込んだ新幹線も同じこだま。
車内では周囲に配慮しつつライブの感想や、お互いの近況を話し合った。一緒だったもう1人の方ともTwitterを交換し、約3時間かかる新大阪〜小田原間の帰路はあっという間に過ぎていった。
ひかりのような速さで過ぎ去った夢のような3日間は、本当にかけがえのない財産になった。
ニジガクが与えてくれたトキメキはこれからもずっと僕の中で輝きを放ってくれるだろう。大好きすぎる、ニジガク。
余談だがこのnoteは当初3月中には執筆しきってツイートしたいと思っていたが、新年度の忙しさもあって気がついたらこんな時期になってしまっていた。
今回も例に漏れず拙い文故にお見苦しいところばかりで申し訳ない。少し趣向を変えて「だ、である調」を使ってみたがいかがだっただろうか。
2期アニガサキも始まり、これからが本当に楽しみである。
まだ完治しきってない膝をかばいながら、ニジガクの存在を糧にして日々の現実と戦っていきたい所存だ。
P.S.縁あって参加させていただいた前田佳織里さんのサイン会にて膝の件を話してみました。スタッフも含めみんな笑ってくれました(爆)
一応レポはこちら↓
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