どっこいしょの一歩
書くことがない
noteを開いてもまじで書くことがない。
人の文章を読むのが大好きで、自分でもそんなお話や文章を書きたい!と常々思っているのだが、いかんせん書くことがない。
毎日手帳に日記つけているのになんでだ。下手すっと食事記録とかまめに一ヶ月つけてたり、いいこと日記が2週間続いたりとかしているのに……
っていっても、三日坊主みたいなもんで、思い立って食事記録つけ続けて特に痩せたわけでもなく、いいこと日記2週間続けたからポジティブになれたわけでもない。
でも、正直「まあ何も書いていない人よりは偉いし!」とか言わなくていいことを腹に抱えてるから私はいつまでたっても中途半端に「中の上」の意識なんだろうな。
自分は無職である。いわゆる主婦である。常に他人が羨ましくて仕方がない。でも自分はまだましなほうだしって思ってる。あーあ、いっちゃった。
みんな、すごいけど、私も結構イケてるんじゃない?という意識
働いていても、いなくても、社会に属しているだけですっごいことだし、学生身分の人もまじすげえと思う。いろんな立場で社会に関わっていてみんなすごいっていつも思っている。
なんだけど、一回凹みだすときりがないので、自分はまだましだし、むしろちょっと中の上くらいだし、まだ自分の本当の本気出してないだけだし、とかカッコ悪い言い訳でいつもごまかしている。言い訳って思っていると辛いのでマジで信じてる感じ。
チェンソーマンのアサちゃんみてると辛いのはそのせいです。
チェンソーマンのアサちゃんの痛いところは私って結構かわいいしってあれ、格好つけでなく本気で全部思っているとこなんだよね。
話それた。
つまり、だから、書くことがないのだ、私には。チェンソーマンの話が続くが、だから、私は、ひょっとしなくてもつまんないやつなんじゃないか……?
知っている。
話をきいてくれる人とか、今目の前にいる相手のことをきちんと見て、考えて、楽しい場にしようと考えている人は常に心地良い。
自分が自分が〜の私は多分空回りしているだけでおもしろくはない。
昔書いた小話を読み返してみると、いかに自分がいいことひらめいたか、このように私ってすごいでしょって意識が透けて見える。他人の目、意識しすぎかつ、他人がそれを受け取ってどう思うかまで考えてない。
逆に、なんてことないその日の食事記録、個人的ないいこと日記、ただその日あったことを記した記録を読み返すのにはそれほど不快感がない。自分の目、意識して、自分がそれをあとから読み返しやすいようにただ淡々と書いているからだ。
閑話休題。
続けられる限り毎日投稿宣言をする
実は、今日から毎日何某かの文章を書いて投稿しようと思う。何日続くかな。一ヶ月続けばいいな。
なんでそんなことするか、ていうと、
冒頭でいった通り、書くことがないからである。矛盾しているが、書くことがないから書いてみる。
私は主婦なので家事で例えるが、嫌だなあ、やらないといけないなあと思っているうちに家事は絶対に終わらない。
どっこいしょ、皿の一枚でも洗うか、と行動し始めれば確実に終わる。思ってたより意外と早く終わる。
逆に、どっこいしょ、がないと家事は永遠に終わらない。マジである。
と、いうことで長くなってしまったが今回の投稿は「どっこいしょ」なわけである。まずBluetoothキーボード引っ張り出して書いているだけで相当な進歩である。
なるべく最初のハードルは低く、てことでこの文章も特に下書きもなく、推敲もせず、投稿する予定である。見出しくらいはつけるか。
次回は「はーしんどー」くらいのテンションであろう。
終わり。
終わりまでかけて偉い!
偉いついでに次のネタを書いておこう。
人の文章を読むのが好きならその感想文とか書けばいいんじゃない?
これなら淡々と自分向けに書けるんじゃあないの?いきなり「再推し」作品について書くとハードルが高すぎるのでそこもなるべくさげて、ちょっと目にした文章あたりを取り上げてみよう。
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